標高 海抜?

T あるMLで、標高と海抜はどう違うのかという質問が投げられた。 広辞苑を引いてくれた人がいた。 かい‐ばつ【海抜】 平均海面を基準とした陸地または山岳の高さ。高距。標高。 ひょう‐こう【標高】ヘウカウ 平均海面から測った高さ。わが国では東京湾の平均海面を標準とす る。海抜。 なんだ 同じかで落ち着きそうになった。 ところが、何故か笹には釈然としないものがあった。 U たとえ意味が同じでも使われ方違うのではないか それがまず笹の疑問だった。 たしかに広辞苑の説明では海抜、標高とも近代の地理学の要請から発生した 技術用語とおもわれ、海抜=標高であることに問題はないのですが、 意味する所は同じでも、使われ方は違うと笹は思います。 かって江東0m地帯。あるいは堤防で囲まれているといわれていた輪中の村、 それらについての高さ(低さ)の記述はみな海抜になっていました。 まさに平均海面と最高潮位の差が死活になるのですから、 広辞苑風にいえば「基準」の重みなのかもしれません。 山の高さをあらわす語として見た場合どうか、 これからは笹としてはということです 富士山であれなんであれ、遥かに海を望む山頂だったら、 笹は間違いなく海抜を選びます。 海が見えずに広大な荒野しか見えなかったら標高を選びます。 そして星が近く感じたら標高ですね。 さて海抜は近代の地理学の要請から発生した 技術用語とおもわれと書きましたが、それはあくまでも広辞苑の記述からの類推。 ただ海抜の由来は御存知の通り史記項羽伝。 こんなメールをそのMLへ投げた。史記項羽伝は冗談のつもりだったが V どんな冗談だったか。 力 山を抜き 気は世を蓋う 四面楚歌の場面。 山を抜くなら、海だって抜いたっていい。 マリアナ海溝の底に、大きな大きな真鍮の栓がある。 若布を編んだ綱が海面を漂っている。 それをぐっと引っ張ると、海の水がごぼごぼと抜けていく。 W 与太話でにごそうと思っていたのだが 英語でナントいうのだろう。ということで BookShelf電子辞書を引いた。以下その考察。以下そのMLへの投稿 まず海抜も標高も、おそらく近代日本が輸入した技術に対しての訳語です。 しかも同じ言葉を訳したのです。だから意味が同じなのは当たり前なのです。 above sea level 標高は level と above で造語し 海抜は sea と above で造語したのです。 当時の測量の技術からは海面を基準とするという考え方は、 画期的だったのでしょう。 何故2つの訳語が並立して現代まで続いているのか、 学閥や陸軍、海軍の対立なんてものも絡んだかもしれません。 「抜」は頭抜けたという 意味合で直訳にかないえたのですが、こう造語した方には、 項羽の辞世の詩が脳裏に閃めいたのだと、笹は思ったんです。 力 山を抜き 気は世を蓋う 時 利あらず スイ逝かず スイ逝かざるを 奈何すべき 虞や虞や なんじを奈何にせん スイは馬の名、馬へんに進むのシンニュウをとったもの 中国古典文学体系 史記上 平凡社
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