去年今年
大晦日に詠んだものです。 発句は虚子の去年今年(こぞことし)新年のご挨拶がわり(Jan/01/1997)
去年今年貫く棒の如き物 虚子 歌合戦に餅を焦がせし 誰が歌かふとメロディの口に出て CDの山を積みてはくずす 砂山を越えれば砂山月登り 振り返れど足跡もなし 空を切る石は水面を三度跳ね 真似てはみてもむなしく沈み 笑う君を意地悪と泣いた夏の日 ただ老い易き生き物なれば 真言は無頼の二字と心決め 鼻直眼横素麺すする むずがゆし母の十八番のとろろ汁 父と覗きし落ち鮎の川 あの曲はツクマンの月草原の ガウチョの声ギターの弦は錆び 花の下下天と比ぶる大童 剛の者の矢に追われ追われて
これから連句をはじめたいという御仁もいらしゃるかもしれないので、 この連句のもたつき加減を(1997/12/31) >去年今年貫く棒の如き物 虚子 発句は言わずと知れた虚子の名句。どっしりとした人生。 > 歌合戦に餅を焦がせし 同じ大晦日でも粗忽者。 >誰が歌かふとメロディの口に出て 紅白歌合戦の曲にどこかで聞いた曲と > CDの山を積みてはくずす CDにあったかとひっくり返すが > 砂山を越えれば砂山月登り CDの山から砂山と飛んだが、山という字が二度でてくるのはまずい。 じゃーもうひとつ山を重ねたら ・・・やっぱりまずかったですね。 > 振り返れど足跡もなし ということで、連句でいう二句一章、長句と短句で一首になるような作り方。 >空を切る石は水面を三度跳ね > 真似てはみてもむなしく沈み 足跡もなしを空で受けたが、その次むなしく沈みじゃ、3句むなしが続いてしまった。 恋につなぐ事がちらちらしてのオオボケ。ここも二句一章 > 笑う君を意地悪と泣いた夏の日 夏の日が取って付けたようで、無理に夏にすることもなかった。 >ただ老い易き生き物なれば 幼き恋に老いの対比で恋離れ。少年易老。 > 真言は無頼の二字と心決め 年だけ取ったが悟りもせずに刹那無頼の開き直り >鼻直眼横素麺すする 彼の高僧、中国に留学なされたが、お帰りになれば、 「あっちだって、鼻は縦、目は横に並んでただけさ」とおっしゃる。 この人も無頼。 日本の夏はどこに行ってもそうめんと俳諧風に流した 笹の旧作 > むずがゆし母の十八番のとろろ汁 ソーメンもすするが、すするといえば、とろろ汁、 とろろも痒いが子にとって母も痒いわな。 これも笹旧作 > 父と覗きし落ち鮎の川 母を思い出せば父のこと。何故か父を思うと、一抹の寂しさ。 > あの曲はツクマンの月草原の あの物悲しい曲、cdで探そうとしていた曲を思い出した。 アルゼンチンのパンパ。エンディングの準備 > ガウチョの声ギターの弦は錆び ガウチョは牧童。 > 花の下下天と比ぶる大童 牧童といっても少年ばかりじゃない大童。 下天の一日は人間の世界の50年。 > 剛の者の矢に追われ追われて 誰が射る矢か、光陰矢のごとし、でも50年も俺を追いかけてくるなんて よっぽど力の強い奴だね。俳諧風に流した。でも語呂が悪いね。
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