その3
さすがに、春の名残も遠からず、
つつじ咲き残り、山藤松にかかりて、時鳥しばしば過ぐるほど、
宿かし鳥のたよりさへあるを、
啄木のつつくともいとはじなど、そぞろに興じて、
魂呉・楚東南に走り、身は瀟湘・洞庭に立つ。
山は未申にそばだち、人家よきほどに隔たり、
南薫*峰よりおろし、北風湖を侵して涼し。
比叡の山、比良の高根より、
辛崎の松は霞をこめて、城あり、橋あり、釣たるる舟あり、
笠取に通ふ木樵の声、ふもとの小田に早苗とる歌、
蛍飛びかふ夕闇の空に水鶏のたたく音、
美景物として足らずといふことなし。
中にも三上山は士峰の俤に通ひて、武蔵野の古き住みかも思ひ出でられ、
田上山に古人をかぞふ。
(口語訳)
さすがに、春が行ってまだ間がないころだ。
山のつつじはまだ咲き残っているし、松にからむ山藤も花を残している
ほととぎすは 時折はうるさいほどの鳴き声を聞かせ、カケスの声も遠くからきこ
えてくる
きつつきが、庵の柱をつつくのも気にはならない。
そんな麗らかな初夏のなかにいると、
私の魂は、おなじような草堂に住んだ古い詩人のそばに飛んでいく
詩人 は、はるか昔、三国の時代、湖が東西に分けた呉と楚の国に思いをはせてい
る
私もまた、中国洞庭湖、その岸に広がる緑豊かな瀟湘の地に彼と共にいるようだ 。
山は南西に囲うように立ち、
人々の暮らす家は、私の心を騒がせない程度にほどよくはなれている
薫り高い南風が峰から吹き降ろし、北風は湖の冷気を含んで涼しい
湖を挟んで、左手には比叡山をはるかに望み、右手には比良山の高き峰が立つ、
多く歌にも詠まれた辛崎の松もおぼろに霞んで見える
見渡せば、城があり、橋があり、魚釣りの船が浮かぶ
山仕事か、後ろの笠取山に通う樵の声、ふもとの小さな田から聞こえる苗取の野
良唄
夕暮れともなると、蛍の飛ぶ空にくいなのあの、たたくような声がする
景色の美しさを愛でるのに、足りないものは無い。
なかでも、三上山、どこやら富士の霊峰の姿に似て、
昔住んだ武蔵野の住まいも思いださせ
並ぶ田上山は、古くから人に知られ、歌に詠まれた山である。
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