同門評  凡篇中ノ異評自ヲ是トスルニ似タルハ、いまだ判者なきゆへ          也。猶、後賢を待ち侍る。 [口語訳] 同じ蕉門の門人の間での批評  だいたい、この同門評の中の意見の食い違った批                評について自分で自分の批評を正しいとしているように                書いているのは、いまだにその批評についてどちらが                正しいか判定する人がいないからです。さらに後                世の賢人の判定をお待ちしております。    腫物に柳のさはるしなへ哉        芭蕉  『浪化集』に「さはる柳」と出づ。是は予が誤り傳ふる也。重ねて史邦が『小文 庫』に、「柳のさはる」と改め出す。支考曰く「「さはる柳」也。いかで改め侍る や」。去來曰く「「さはる柳」とはいかに」。考曰く「柳のしなへは腫物にさはる 如しと比喩也」。來曰く「しからず。柳の直にさはりたる也。「さはる柳」といへ ば兩様に聞え侍る故、重ねて予が誤りをたゞす」。考曰く「吾子の説は行き過ぎた り。たゞ、「さはる柳」と聞くべし」。丈草曰く「詞のつゞきはしらず、趣向は考 がいへる如くならん」。來曰く「流石の兩士、爰を聞き給はざる口をし。比諭にし ては誰誰も謂はん。直にさはるといかでか及ばん。格・位も又各別也」と論ず。許 六曰く「先師の短尺に、「さはる柳」と有り。其上、「柳のさはる」とは首切 也」。來曰く「首切の事は予が聞く處に異也。今論に不及。先師之文に、「柳のさ はる」と慥也」。六曰く「先師あとより直し給ふ句おほし。眞跡、證となしがた し」と也。三子皆、「さはる柳」の説也。後賢、猶判じ給へ。 [口語訳]    腫物に柳のさはるしなへ哉        芭蕉  『浪化集』に「さはる柳」と出ています。これは、私が間違って伝えたのです。 もう一度、史邦が、『小文庫』に「柳のさはる」と訂正して出しました。支考は 「「さはる柳」ですよ。どうして改めたのですか?」と言いました。私去来は 「「さはる柳」とはどういうことですか?」と言いました。支考は「柳のしなやか さは腫れ物をさわるようなほどです、という比喩です。」と言いました。去 来は「そうではありません。柳が直接腫れ物に触れたのです。「さはる柳」と言え ば両方の意味に聞こえますから、もう一度、史邦が『小文庫』に「柳のさはる」と 入れて、私が『浪化集』で「さはる柳」とした間違いを正したのです。」と言いま した。支考は「あなたの説は行き過ぎています。ただ、「さはる柳」とするべきで す。」と言いました。丈草は「表現がどちらがよいかはわかりませんが、この句の 趣向は支考が言っているとおりでしょう。」と言いました。去来は「さすがのお二 人さんですが、でもここのところを聞いていただけないのが残念です。比喩という ことでしたら先師でなくても誰でも詠むことです。先師でなくて、直接に触れてい るという句を、どのようにして詠むことができるでしょうか?この句は、格も位も また格別です。」と論じました。許六は「先師の短冊に、「さはる柳」とありま す。そのうえ、「柳のさはる」とは首切れ、すなわち初句で切れていて後が続いて いませんよ。」と言いました。去来は「首切れのことは私が聞いていることと違い ますね。しかし今は論じないことにします。それよりも先師の手紙に、「柳のさは る」とあるのは確かなことです。」と言いました。許六は「先師は後からお直しに なった句が多いです。先師が直接お書きになったからといって、証拠にはしにくい です。」と言いました。支考・丈草・許六の三人とも皆、「さはる柳」の説でし た。後世の賢人よ、さらにどちらが正しいか判定して下さい。   來曰く「いかなるゆへや有りけん。「此句は汝にわたし置く。必ず人にさたす  べからず」と江府より書き贈り玉ふ。其後「大切の柳一本去來に渡し置けり」と  は支考にも語り玉ふ。其比、『浪化集』『続猿蓑』(の)兩集にものぞかれける  に、『浪化集』撰の半ば、先師遷化有りしかば、此句のむなしく殘らん事を恨み  その集にまいらせける」。 [口語訳]   去来は「どういった理由があったのでしょうか?「この句はあなたに渡してお  きます。絶対に他の人に言ってはいけません。」と江戸からの手紙にお書きにな  って送ってくださいました。その後「大切な柳を一本、去来に渡しておいてあり  ます。」と支考にも語られました。そのころ、この句は『浪化集』『続猿蓑』の  二つの句集からも除かれていましたが、『浪化集』を編集する中ほどで先師がお  亡くなりになりましたから、この句が世に知られず、私の手元にだけむなしく残  るであろうことを惜しいと思い、『浪化集』に入集させていただきました。」と  言いました。    雪の日に兎の皮の髭つくれ        芭蕉  魯町曰く「此句意いかゞ」。去來曰く「先づ、前書に子どもと遊びてと有れば、 子共のわざと思はるべし。強ひて理會すべからず。機關を踏み破らばしるべし。 昔、先師此句を語り給ふに、予甚だ感動す。先師曰く、是を悦ばん者、汝と越人の みと思ひしに、果してしかりとて、殊更の機嫌なりし」。或は曰く「雪は越後兎の 縁に出たり」。來曰く「此説の古き事、神代巻に似たり」。或は曰く「兎の皮の髭 つくるは、雪中寒きゆへ也」。來曰く「如此に解せば、暑き日に猿若髭をはづしを りの類なるべし。いとあさまし」。 [口語訳]    雪の日に兎の皮の髭つくれ        芭蕉  魯町が「この句の意味はどのようにお考えですか?」と言いました。私去来は 「まず、前書に「子どもと遊びて」とありますから、子どもの遊びと思われます。 無理に理屈で理解してはいけません。言葉の仕掛けを打ち破ったらきっとわかりま す。昔、先師がこの句について語られた時に、私はとても感動しました。先師がお っしゃるには、この句を喜ぶ者は、あなたと越人だけだと思いましたが、やっぱり そのとおりだと、たいへんご機嫌でした。」と言いました。ある人が「雪は越後兎 の関係でこの句に出たんですよね。」と言いました。去来は「そのような考え方の 古いことといったら、記紀の神代の巻に似ていますね。」と言いました。ある人は 「兎の毛皮の髭をつくるのは、雪の中で寒いからですね。」と言いました。去来は 「そのように理解するならば、「暑き日に猿若の髭をはづしをり(暑い日に猿若狂 言の芸人が付け髭をはずしているよ)」のような、ただ滑稽なだけの句と同類にな ってしまいます。なんとあきれたことでしょう!」と言いました。    山路きて何やらゆかし菫草        芭蕉  湖春曰く「菫は山によまず。芭蕉翁俳諧に巧なりと云へども、歌學なきの過 也」。去來曰く「山路に菫をよみたる證歌多し。湖春は地下の歌道者也。いかでか かくは難じられけん、おぼつかなし」。 [口語訳]    山路きて何やらゆかし菫草(注12)   芭蕉  湖春が「菫は山では詠みません。芭蕉さんは、俳諧の名人であるといっても、歌 学を学んでいないからこんな誤りをするんですね。」と言いました。私去来は「山 道で菫を詠んだ昔の歌は多いですよ。湖春は伝統墨守の堂上歌人ではなく地下(一 般庶民階級)の歌人ですよね。どうしてこのように非難したのでしょうか?わけが わかりません。」と言ってやりました。    笠提げて墓をめぐるや初しぐれ        北枝  先師の墓に詣でての句也。許六曰く「是は脇よりいふ句なり。自ラ何の疑有り て、「や」とはいはん」。去來曰く「「や」は治定嘆息の「や」也。かの常に人を 訪ふには、笠を提げて門戸に社入れ、是はおもひのほかに墓をめぐる事哉やといへ る也。凡そほ句は一句を以て聞くべし。「笠提げて門に這入るや」といはゞ、疑な き外人の句也」。 [口語訳]    笠提げて墓をめぐるや初しぐれ        北枝  この句は、北枝が先師の墓に詣でたときの句です。許六が「この句は、他人が、 墓をめぐっている人を想像して詠んだ句です。自分に何の疑いがあって「や」とい うでしょうか?」と言いました。私去来は「この句の「や」は、「〜ことである よ」と治めて詠嘆する、治定嘆息の「や」です。いつも人を訪問するには、笠をぬ いで手に提げて門や戸口に入るものですが、この時は思いもかけず先師が 亡くなったため墓をめぐり歩くことになってしまったよ、といっている句です。 だいたい、発句は、一句全体で考えるべきです。「笠提げて門に這入るや (笠を手に提げて門の中に入っていくのでしょうか?)」といえば、 疑いなく他人のことを詠んだ句です。」と答えました。    春の野をたゞ一のみや雉子の聲    野明  初めは「春風や廣野にうてぬ雉子の聲」也。去來曰く「うてる・うてぬとあたり 相ひていやし。廣き野をたゞ一のみやといはん」。丈草曰く「廣の字、猶いやし。 春の野と有らんか」。去來心服す。 [口語訳]    春の野をたゞ一のみや雉子の聲    野明  初めは「春風や廣野にうてぬ雉子の聲(春風が吹いていますね、広い野原に 打ち付けるような鋭く大きいキジの声がしましたよ。)」という句でした。私去来は 「打つ・打たないという勝敗についての言葉と意味が通うのでよくないです。 「廣き野をたゞ一のみや(広い野原をただ一飲みにしてしまうほど大きく 鋭いですね)」と言いましょう。」と言いました。丈草は「広の文字は、 やはり品がないです。春の野にしましょうか。」と言いました。 去来は丈草の言葉に心服しました。    馬の耳すぼめて寒し梨子の花    支考  去來曰く「馬の耳すぼめて寒しとは我もいへり。梨の花とよせらるゝ事妙也」。 支考曰く「何のかたき事有らん。吾子の如く、かしらより一すじに謂ひくださん 社、難けれ」と論ず。曲翠曰く「二子互に得處を易しとし、不得處を難しとす。其 論共に尤也。しかれども惣體を謂はば、一すじに謂ひ下さんは難かるべし」。來曰 く「翠、亦得られざる故也。凡修行は、我が得處を養ひ、不得處を學ばゞ、次第に すゝみなん。得處になづんで外をわすれば、終に巧を成すべからず」。 [口語訳]    馬の耳すぼめて寒し梨子の花    支考  私去来は「「馬の耳すぼめて寒し(馬が耳をすぼめるほどに寒い)」とは私でも 詠みますよ。「梨の花」という言葉をこの句に組み合わせるのは、お見事です。」 と言いました。支考は「なんの難しいことがありましょうか。あなたのように、上 の句から一気に詠み下すのこそ難しいですよ。」と論じました。曲翠は「お二人と もお互いに得意なところは易しいといい、不得意なところは難しいと言っていま す。そのお話はどちらももっともなことですね。けれども、全般的に言って、一気 に詠み下すほうが絶対に難しいです。」と言いました。去来は「曲翠さんもまた、 一気に詠み下すのを習得していないからです。だいたい修行というのは、自分の得 意なところを伸ばし、不得意なところを学習すれば、しだいに進むものです。得意 なところにこだわって他のことを忘れてしまったら、最終的には成功しないもので す。」と言いました。    白水の流も寒き落葉哉        木導  其角曰く「「も」は今一ツ有るの詞也」。去來曰く「角は此を、「又も」と思は るゝにや。是等は「力も」なるべし。寒きは冬の惣體也」。 [口語訳]    白水の流も寒き落葉哉        木導  其角は「「も」は、もう一つ何かがあるという助詞ですよね。」と言いました。 私去來は「其角さんは、この句の「も」を「又も(並列の係助詞)」(注13) と思っているのですか?この句に使われているのは「力も(強調の副助詞)」ですよ。 寒いというのは冬そのものを言っているのです。」と言いました。    卯の花に月毛の駒のよ明けかな    許六  去來曰く「予此趣向有りき。句は「有明の花に乗り込む」といひて、月毛駒・芦 毛馬は詞つまれり。「の」字を入るれば口にたまれり。さめ馬は雅ならず。紅梅・ さび月毛・川原毛、おもひめぐらして首尾せず。其後、六が句を見て不才を嘆ず。 實に畠山左衛門佐と云へば大名、山畠佐左衛門と云へば一字をかえず庄屋也。先師 の、句調はずんば舌頭に千轉せよと有りしは、こゝの事也」。 [口語訳]    卯の花に月毛の駒のよ明けかな    許六  私去来は「私もこの句と同じような着想の句がありました。その句は「有明の花 に乗り込む(有明の月が照らしている花の中に乗り込む)」と詠んで、その下五 に、月毛駒(赤くて白味を帯びた毛色の馬)・芦毛馬(白い毛に青・黒・濃褐色な どの毛が混じった馬)では、言葉がつまった感じになってしまいました。「の」の 字を入れて「有明の花に乗り込む月毛の駒」・「有明の花に乗り込む芦毛の馬」と したならば、口調がもたもたしてしまいました。さめ馬(眼球が青白く、毛なみが 白い馬)では、雅ではありません。紅梅(淡紅色の毛色の馬)・さび月毛(赤茶色 を帯びた月毛)・川原毛(たてがみの部分だけが黒い白馬)、といろいろ考えたの ですが、うまくいきませんでした。その後、許六のこの句を見て、私には才能がな いな、とため息が出ました。実際、畠山左衛門佐といったら大名ですし、山畠佐左 衛門といったら、一文字も変えていないで順序だけ変えただけなのに、庄屋ですよ ね。先師が、句の調子がよくなかったら何度も口ずさんでみなさい、とおっしゃっ たのは、このことですよね。」と言いました。    鶯の啼いて見たればなかれたか    起ざまに眞そつとながし鹿の足        杜若    干鮭となるなる行くや油づゝ         雪芝  去來曰く「伊賀の連衆にあだなる風あり。是、先師の一體也。遷化の後、益々お ほし。如此の類也。其無智なるには及びがたし」。支考曰く「いがの句、或はさし てもなき句は有れ共、いや成るは一句もなし。いがの連衆は上手也」。 [口語訳]    鶯の啼いて見たればなかれたか    起ざまに眞そつとながし鹿の足        杜若    干鮭となるなる行くや油づゝ         雪芝  私去来は「伊賀の俳人たちには邪気のない俳風があります。これは、先 生の俳風の一面でもあります。先師がなくなられた後、ますますその俳風の句が多 くなっています。ここに挙げたような句です。その無邪気で技巧のないことといっ たら、とても私たちの及ぶものではありません。」と言いました。支考は「伊賀の人 たちの詠んだ句は、中には特に取り上げるほどもないような句もありますが、いや な感じになるような句は一句もないです。伊賀の俳人たちは上手ですね。」と言いま した。    鶯の舌に乗せてや花の露        半残  去來曰く「「乗するや」といはゞ風情あらじ。「乗りけり」と謂はゞ句なるま じ。「てや」の一字、千金。半残は實に手だれ也」。丈草曰く「「てや」といへる あたり、上手のこま廻しを見るがごとし」。 [口語訳]    鶯の舌に乗せてや花の露        半残  私去来は「「乗するや(乗せるのでしょうか?)」というと風情がないです。 「乗りけり(乗っています)」というと句になりません。「てや」という言葉は、 千金の価値があります。半残はほんとうに熟練の詠み手です。」と言いました。丈 草は「「てや」と詠めるあたりは、上手なコマ回しの芸を見ているようです。」と 言いました。    鶯の身を逆まにはつね哉        其角    鶯の岩にすがりて初音哉        素行  去來曰く「角が句は乗煖の亂鶯也。幼鶯に身を逆まにする曲なし。「初」の字、 心得がたし。行が句は鳴鶯の姿にあらず。岩にすがるは、或は物におそはれて飛び かゝりたる姿、或は餌ひろふ時、又は、こゝよりかしこへ飛びうつらんと傳ひ道に したるさま也。凡、物を作するに、本性をしるべし。しらざる時は、珍物新詞に魂 を奪はれて、外の事になれり。魂を奪はるゝは、其物に著する故也。是を本意を失 ふと云ふ。角が功者すら、時に取つて過ち有り。初學の人慎むべし」。 [口語訳]    鶯の身を逆まにはつね哉        其角    鶯の岩にすがりて初音哉        素行  其角さんの句は春の暖かさに乗じて乱れ鳴く鶯ですね。初鳴きするような 幼い鶯にはからだを逆さまにして鳴くような曲芸はできませんよ。「初」の字は 納得できませんね。素行さんの句は鳴いている鶯の姿ではありませんね。鶯が岩に すがるのは、あるいは何か鷲や鷹のようなものに襲われて飛びついた姿、あるいは 餌を拾うときの姿、または、ここからあちらへと飛び移ろうとしてその途中岩伝いに 行く様子、この三つのどれかですよ。だいたいですね、何かの物の句を作ろうと したら、詠もうとする物の本質を知るべきです。その物の本質を知らない時には、 珍しいものや新しい言葉に心を奪われて、全然見当違いのことを詠んでしまいます。 心を奪われるのは、その物の珍しさや言葉の新しさに執着してしまうからです。 このことを「本意を失う(物の本質を見失う)」といいます。其角さんのような熟練者 ですら、時にはこのような間違いがあります。初心者は、よくよく注意して下さい。    桐の木の風にかまはぬ落葉かな        凡兆  其角曰く「是、先師の樫木の等類也」。凡兆曰く「しからず。詞つゞきの似たる のみにて、意かはれり」。去來曰く「等類とは謂ひがたし。同巣の句也。同巣を以 て作せば、予今日の吟たる「凩の地にもおとさぬ時雨哉」と云ふ巣をかりて「瀧川 の底へふりぬく霰哉」と言下にいふて、いさゝか作者に手柄なし。されど兄より生 れ勝ちたらんは、又各別也」。 [口語訳]    桐の木の風にかまはぬ落葉かな        凡兆  其角が「この句は、先師の「樫の木の花にかまはぬすがたかな(樫の木は、隣の 木の花が咲こうと咲くまいと関係なしに同じ姿をしていますよ。)」という句と等 類(一句の内容・素材・趣向が他の句と相似の句)です。」と言いました。凡兆は 「そうではありません。言葉の続き方が似ているだけで、句の意味は変わっていま す。」と言いました。私去来は「等類とは言いにくいですね。同巣(表現法が他の 句と類似している句)の句です。同巣というやり方で句を作るならば、たとえば、 私が今日詠んだ句である「凩の地にもおとさぬ時雨哉(木枯らしの勢いが強くて時 雨の雨粒を地面に落とさないほどですよ)」という句の表現法を持ってきて「瀧川 の底へふりぬく霰哉(流れが激しい滝川の底までも到達するほど勢いの強い霰です よ。)」とすぐさま詠むようなもので、少しも作者の工夫がありません。けれど も、もとの句より優れた句になったならば、まったく話は別です。」と言いました。    駒買ひに出迎ふ野べの薄かな        野明  去來曰く「駒買ひに人に出迎ふたる野べの薄にや。又は直に薄の風情にや」。野 明曰く「薄の上也」。來曰く「初めよりさは聞き侍れど、吾子の俳諧のかく上達せ んとはおもはざりし。たゞ驚き入り侍るのみ」。支考曰く「句は秀拙はともかく も、野明此場をしらるゝ事、いとふしん也」と感吟す。予、此人を教ふる事とし有 り。會て不通。一とせ先師「廿日斗の旅ねに秡群上達せり」。常に俳友なく修行む なし。然れども、先師をはじめ、丈草・支考など折ふし會吟して、外のわる功をし られず、おのづからかゝる句も出で來れり。まことに手筋を尊むべし。たゞ平生徘 意弱きを難とす。 [口語訳]    駒買ひに出迎ふ野べの薄かな        野明  私去来が「馬を買いに来た人を売り手の人が出迎えている、その野辺のススキの 様子ですか?それともススキの様子を、馬を買いに来た人をススキが直接出迎える ようになびいていると詠んだものですか?」と尋ねました。野明は「ススキのこと を、出迎えるようになびいている、と詠みました。」と答えました。去来は「私も この句を初めからそのように読み取っていましたが、あなたの俳諧がこのように上 達しているとは思いませんでした。ただ驚きいるばかりです。」と言いました。支 考は「句の上手下手はともかく、野明さんにこの境地がわかるということは、どう しても信じられないです。」と言って、感動してこの句を口ずさみました。私が野 明を教えて何年にもなります。これまで私の言うことをなかなかわかってもらえま せんでした。先年、先師が「野明は、私が去来のところに20日ばかり滞在をした 時に、抜群に上達しました。」とおっしゃいました。野明は、いつもは俳諧の友人 がなく、俳諧の修行もなかなか成果をあげられなかったのです。けれども、先師を はじめとして、丈草・支考などと折にふれて一緒に句を吟じて、よその流派の悪ふ ざけっぽい技巧を知ることもなく、そんな中から自然にこのような句もできてきた のですね。ほんとうにその感覚は大事にすべきです。ただいつもは、野明の句は おとなしいのが欠点です。    嵐山猿のつらうつ栗のいが    小五郎    花ちりて二日おられぬ野原哉  正秀曰く「嵐山は少年の句にして、しかも風情有り。落花はわる功の入りたる處見 えて、少年の句と謂ひがたし」。去來曰く「二日おられぬといへるあたり、他流の悦 ぶ處にして、蕉門の大ひに嫌ふ事也」。 [口語訳]    嵐山猿のつらうつ栗のいが    小五郎    花ちりて二日おられぬ野原哉  正秀は「嵐山の句はいかにも少年らしい句であって、しかも風情があります。落 花の句は技巧的なわざとらしさが入っているのが見え見えで、少年らしい句とは言 いにくいです。」と言いました。私去来も「二日おられぬ(二日といられない)と 言っているあたりは、他の流派が喜ぶようなところであって、蕉門がたいへん嫌う ところです。」と言いました。    ちる時の心やすさよけしの花        越人  其角・許六共に曰く「此句は謂不應故に、「別僧」と前書あり」。去來曰く「けし一體 の句として謂ひ應せたり。餞別となして猶見あり」。 [口語訳]    ちる時の心やすさよけしの花        越人  其角も許六もともに「この句は、この句だけでは十分に言いたいことを言い尽く していないので、「僧と別れる」と前書きがありますね。」と言いました。私去来 は「散りやすいというケシの特徴の一つを詠んだ句として十分言い尽くしています よ。餞別の句として見るとさらに深く見ることもできますね。」と言いました。    電のかきまぜて行く闇よかな        去來  丈草・支考共に曰く「下の五文字過ぎたり。田づらとか何とぞ有りたし」。去來 曰く「物を置くべからず。たゞ闇夜也」。兩子曰く「尤の句にして拙なし」。と論 ず。其後草に語りて曰く「退きておもふに、兩士は電の句と見らるゝ也。たゞ、電の 後闇夜の句也。故に行くとは申し侍る」。草曰く「さばかりは心つかず」。いかゞ侍らん。 [口語訳]    電のかきまぜて行く闇よかな        去來  丈草と支考がともに「下の句の五文字は言い過ぎましたね。田づら(田んぼのほ とり)とか何とか具体的な言葉にしたかったですね。」と言いました。私去来は 「この句の下五には具体的なものを置いてはいけません。ただ闇夜です。」と答え ました。お二人は「なるほどもっともな句ですが面白味はない句です。」と論じま した。その後私は丈草に「あとでよく考えたら、お二人はこの句を稲妻の句と見ら れたのですね。この句は、ただ、稲妻のあとの闇夜の句なのです。だから「行く」 と申しあげたのです。」と語りました。丈草は「そのようなことは思いつきません でした。」と言いました。読者の皆さんはどのようにお考えでしょうか?    時鳥帆裏になるや夕まぐれ        先放  初めは下を明石潟と云へり。『渡鳥集』にあらたむ。可南曰く「いかなるゆへに や」。去來曰く「時鳥帆裏に成るやと云ふにて景情足れり。是の上に明石潟をもと むるは、心のねばり也」。可南曰く「同集卯七の時鳥も明石也。いかゞ變り侍る や。」來曰く「卯七の句は明石といはねば、「ずらしけり」と云ふ本意たゝず。ほ 句は趣向を二つ三つかさぬる物にあらず。又下意を持たせて作するは各別也」。 [口語訳]    時鳥帆裏になるや夕まぐれ        先放  初めは下五を「明石潟」と言っていました。『渡鳥集』に入れたときにこの句の ように改めました。可南が「どういう理由ですか?」と尋ねました。私去来は 「「時鳥帆裏になるや」と言っていることで風景も情緒も十分言い尽くしていま す。この上さらに下五にホトトギスと関係の深い歌枕である「明石潟」をもってく るのは、執着心というものですよ。」と答えました。可南はさらに「同じ『渡鳥 集』の中の卯七の時鳥の句「時鳥当た明石もずらしけり(ホトトギスの鳴き声が聞 けると当てこんで明石に来たのに聞けませんでした。)」も「明石」ですよ。この 句と卯七の句とどのように違うのでしょうか?」と尋ねました。去来は「卯七の句 は明石と言わなかったら、「ずらしけり(聞けませんでした)」という中心となる 意味が成り立ちません。発句は句に詠むべき内容を二つも三つも重ねるものではあ りません。とはいえ、表面的な意味とは別に特別な意味を持たせて句を作ること と、この話は別ですよ。」と答えました。    取られずば名もなかるらん紅葉鮒        玄梅  許六曰く「是を説経ばねと云ふ。かんぜん者はなかりけり」と也。又曰く「或人 路上にて人に逢ひて、上へや行くべし、下へや行くべしと路を問へるが如し。てに をばあはず」。去來曰く「上へや行くべし、下や行くべしと謂ふは、上は疑ひ下は 決し、語路不通。疑ひて決するといふてにをはにもあらず。此句は上に疑ひ有りて 下をはねたり。又「らん」は「らし」にかよふ。はねたる事くるしからじ」。六曰 く「穴勝にはねたるをいはず。惣體てにをはあしき句なり」。 [口語訳]    取られずば名もなかるらん紅葉鮒        玄梅  許六が「この句のように「なかるらん」とはねるのを「説経(説経節・説経浄瑠 璃から)ばね」といいます。「かんぜん者はなかりけり(感じない者はいませんで した)」のように「かんぜぬ」を「かんぜん」というようなものです。」と言いま した。またさらに「この句は、ある人が道で人にあって、「上へや行くべし、下へ や行くべし(北へ行ったらいいのでしょうか、南へ行ったらいいのでしょうか)」 と道を尋ねるようなものです。 この例と同じように、この句も、言葉遣いが間違っています。「名もなかるべ し」と言うべきです。」と言いました。私去来は「「上へや行くべし、下へや行く べし」というのは、「上へや」「下へや」の部分は疑問、「行くべし」の部分は決 定で、これでは意味が通じません。初めに疑問を出し、それに自分で答える自問自 答の文型でもありません。では「取られずば」の句はどうかというと、この句は上 五で「取られずば」と疑問があって中七で「(名もなかる)らん」とはねていま す。また「らん」は「らし」と同じように推量として扱えます。はねていること自 体はまずくないでしょう。」と言いました。許六は「ただ「らん」とはねたことだ けを言っているのではありません。この句は全体として言葉遣いが悪い句です。」と 言いました。    鞍坪に小坊主のるや大根引        ばせを  蘭國曰く「此句、いかなる處か面白き」。去來曰く「吾子今マ解しがたからん。 只、圖してしらるべし。たとへば花を圖するに、奇山・幽谷・霊社・古寺・禁闕に よらば、その圖よからん。よきがゆへに古來おほし。如此の類は圖の悪敷にはあら ず。不珍なれば取りはやさず。又圖となしてかたちこのましからぬものあらん。此 等元より圖あしとて用ひられず。今珍らしく雅なる圖あらば、此を畫となしてもよ からん、句となしてもよからん。されば、大根引の傍、草はむ馬の首うちさげたら ん鞍坪に小坊主のちよつこりと乗りたる圖あらば、古からんや、拙なからんや。察 しらるべし」。國が兄何某、却つて國より感驚す。かれは俳諧をしらずといへど も、畫を能くするゆへ也。圖師尚景が子也。 [口語訳]    鞍坪に小坊主のるや大根引        ばせを  蘭国が「この句はどんなところが面白いのですか?」と聞きました。私去来は 「あなたには今はまだわかりにくいでしょう。そうですね、この句の情景を絵にす るとわかりやすいでしょう。たとえば花の構図をとるのに、変わった形の山や深い 谷・霊験あらたかな神社・由緒のある古いお寺・御所を組み合わせたならば、その 構図は良いものとなるでしょう。良い構図ですから昔からこの構図が多いのです。 このような構図は構図が悪いのではないのです。珍しくないからもてはやされない のです。また構図をとってみてそのかたちがよくない場合もあります。このような 構図は初めから構図が悪いとして取り上げられることはありません。今、珍しくて 雅な構図があれば、その構図で絵を描いても良いでしょう、発句としても良いでし ょう。となれば、大根を引き抜いている親のかたわらで、草をはんでいる馬が首を さげていて、その馬の鞍に小さな男の子がちょこんと乗っている、という構図があ れば、その構図は古いでしょうか、稚拙でしょうか?おわかりになりますよね。」 と答えました。蘭国のお兄さんのなんとかという人が、かえって蘭国より驚き感動 しました。彼は俳諧を知らないとはいえ、絵を上手に書く人だからです。蘭国と兄 との二人は画家、尚景の子です。    夕ぐれは鐘をちからや寺の秋        風國  此句初めは、晩鐘のさびしからぬといふ句也。句は忘れたり。風國曰く「頃日山 寺に晩鐘をきくに、曾てさびしからず。仍て作す」。去來曰く「是、殺風景也。山 寺といひ、秋の夕と云ひ、晩鐘と云ひ、さびしき事の頂上也。しかるを、一端游興 騒動の内に聞きて、さびしからずと云ふは一己の私也」。國曰く「此時此情有らば いかに。情有りとも作すまじきや」。來曰く「若し情有らば如此にも作せんか」 と、今の句に直せり。勿論、句勝れずといへども本意を失ふ事はあらじ。 [口語訳]    夕ぐれは鐘をちからや寺の秋        風國  この句は初めは、「晩鐘のさびしからぬ(晩鐘がさびしくは聞こえない)」とい う句でした。具体的にどんな句だったかは忘れました。風国が「近ごろ、山寺の晩 鐘を聞いたのですが、ちっともさびしく聞こえませんでした。それでこんな句を詠 んだのです。」と言いました。私去来は「これでは興ざめな句です。山寺といい、 秋の夕暮れといい、晩鐘といい、さびしいことこの上ないものばかりです。ですの に、たまたま大勢で遊び騒いでいる時に晩鐘を聞いて、さびしく聞こえないという のは、作者だけの個人的な感情です。」と言いました。風国が「この時に実際こう 感じたのですが、それはどうなのですか?そのような感情があっても句に詠んでは いけないのでしょうか?」と尋ねましたので、去来は「もしそのような感情があっ たのなら、このように作ってみてはいかがでしょう?」と、今の句に直しました。 もちろん、このように直したからと言って句は良くなりはしませんが、秋の夕暮 れ・晩鐘・山寺を詠んだもともとの詩情は失ってはいません。    應々といへどたゝくや雪のかど        去來  丈草曰く「此句不易にして流行のたゞ中を得たり」。支考曰く「いかにしてかく 安き筋よりは入らるゝや」。正秀曰く「たゞ先師の聞きたまはざるを恨るのみ」。 曲翠曰く「句の善悪をいはず、當時作せん人を覺えず」。其角曰く「眞の雪の門 也」。許六曰く「尤好句也。いまだ十分ならず」。露川曰く「五文字妙也」。去來 曰く「人々の評、又おのおの其位よりいづ。此句は先師遷化の冬の句也。その比、 同門の人々も難しとおもへり。今は自他ともに此場にとゞまらず」。 [口語訳]    應々といへどたゝくや雪のかど        去來  丈草は「この句は不変な詩情という面でも、また、新鮮さの面でも、その核心を 衝いています。」と言いました。支考は「どのようにしてこのようなわかりやすい ところから入っていけるのでしょうか?」と言いました。正秀は「ただ先師がこの 句をご覧にならなかったのが残念だと思うばかりです。」と言いました。曲翠は 「この句の良し悪しはいいません。これだけの句を詠める人が、今、去来さんのほ かにいるとは思えません。」と言いました。其角は「まさに雪の門だ!という句で すね。」と言いました。許六は「非常に優れたよい句ですね。しかしまだ十分とは いえません。」と言いました。露川は「「応応と」の五文字がすばらしいです。」 と言いました。私去来は「同門の人々の批評は、それぞれの実力から出ています。 この句は先師が亡くなられた年の冬の句です。そのころは、同門の人々もこのよう な句を詠むのは難しいと思っていました。今では私も他の同門の人々もどちらもそ のような段階には止まっていません。」と言いました。    幾年の白髪も神のひかり哉        去來  太宰府奉納の句也。許六曰く「ほ句に切字を二つ用ゆるは法有り。此句、切字二 の病あり」。去來曰く「予、曾て切字二つ有るに心なし。二つ有るとも、是を切字 に用ひずばくるしからじ」。 [口語訳]    幾年の白髪も神のひかり哉        去來  太宰府天満宮に奉納した句です。許六が「発句に切れ字を二つ使うには、一定の 決まりがあります。この句は、切れ字が二つあります(注14)が、その決まりに 従っていないで二つ使っているという難点があります。」と言いました。私去来は 「私は、今まで切れ字が二つあっても気にしませんでした。二つあっても、 その単語を切れ字として使わなければ何の問題もないでしょう。」と答えました。    白雨や戸板おさゆる山の中        助童  去來曰く「墨崎に聞きて此に及ぶなし。句體風姿有り、語路とゞこほらず、情ね ばりなく、事あたらし。當時流行のたゞ中也。世上の句おほくは、とするゆへかく こそ有れと、句中にあたり逢ひ、或は目前をいふとて、ずん切りの竹にとまりし 燕、のうれんの下くゞる(り)來る燕哉といへるのみ也。此兒、此下地有りて能き 師に學ばゞ、いかばかりの作者にかいたらん。第一いまだ心中に理屈なき故也。も し、わる功の出で來るに及んで、又いかばかりの無理いひにかなられん。おそるべ し」。 [口語訳]    白雨や戸板おさゆる山の中        助童  私去来はこの句について「筑前(福岡県の北部・西部)の国の黒崎でこの句を聞 いたのですが、黒崎ではこの句に及ぶような句はありませんでした。句の姿として 風雅なイメージがはっきりとあり、語調もなめらかで、理屈っぽいところもなく、 内容も新しいです。現在の新鮮さのまっただなかの句です。世間で詠まれている句 の多くは、こうするからこうなるのだ!と一句の中で原因・結果が理屈っぽくぶつ かりあい、あるいは目の前のものを詠むといって、「ずん切りの竹にとまりし燕 (横に切った竹にとまったツバメ)」、「のうれんの下くゞり來る燕哉(のれんの 下をくぐって来たツバメですね)」と平凡に詠むだけです。この子は、このような 素質があるので、さらに良い先生について学んだら、どれほど優れた作者になるで しょうか。まず第一に言えることは、まだ、この子の心の中に理屈がないからとい うことです。しかし、才能があるだけに、もし、悪達者な技巧が出てくるようにな ったら、また、どれだけ無理な理屈を重ねた句を詠むようになるでしょうか。おそ ろしいことです。」と言いました。    さびしさや尻から見たる鹿のなり        木導  許六曰く「是句は「入る鹿のあと吹きおくる荻の上風」と云へる等類也。」去來 曰く「吹き送るの歌は、朝鹿の山に歸る氣色をいへり。此は鹿一體のさびしさをい へり。趣意各別也。等類なるまじ」。 [口語訳]    さびしさや尻から見たる鹿のなり        木導  許六が「この句は「(帰るとて野べより山へ)入る鹿のあと吹きおくる荻の上風 (ねぐらへ帰ろうとして野の端から山の中へ入る鹿の跡を見送るように吹くのは、 荻の花の上を吹く風でもある。)」と詠んだ歌の等類です。」と言いました。私去 来は「吹き送るの歌は、朝、鹿が山に帰っていく景色を詠んでいます。この句は鹿 の姿のさびしさを詠んでいます。詠んでいる趣向が各々まったく別です。等類 とはいえません。」と言いました。    唐黍にかげろふ軒や玉まつり        洒堂  洒堂曰く「路通曰く「唐黍は粟にも稗にもふるべし。ほ句となしがたし」と 也」。去来曰く「通、いまだ句の花實をしらざる故也。此句は軒の草葉の火影のも れたる賎の玉祭を賦したるにて、一句の實こゝにあり。其草葉は、唐黍にても粟稗 にても、其場に叶ひたらん物を用ゆべし。是は一句の花也。實は魂にて動くベから ず。動けば外の句也。花はいくつも有るべし。その内雅なる物を撰び用ゆるのみ」。 [口語訳]    唐黍にかげろふ軒や玉まつり        洒堂  洒堂が「路通に「唐黍(トウモロコシ)は粟にも稗にも置き換えられます。だか ら、この句は発句にすることはできないです。」と言われました。」と言いまし た。私去来は「路通は、いまだに句の花と実とがわかってないからそういうことを 言うんですよ。この句は軒に近い草葉の間から迎え火の光がチラチラもれて見える 貧しい家のお盆の風景を詠んだものであって、一句の実ともいえる主題はこの点に あります。その草葉は、トウモロコシでも粟でも稗でもその場にかなったものを用 いたらよいのです。これは一句の花なのです。実はこの句の魂ですから動いてはい けません。動いたら他の句になります。花はいくつもあっていいのです。その中か ら雅なものを選んで用いるだけのことです。」と言ってあげました。    玉祭うまれぬ先の父こひし        甘泉  去來曰く「吾子は未生以前に父を喪し玉ふや」。甘泉曰く「去々年送喪し侍 る」。來曰く「しからば此は他人の句也。吾子に對しておかしからず。凡ほ句を吟 ずるに、意は無情・狂狷・聖賢・佛祖の境にも游ぶべし。處は禁裏・仙洞のうわさ をも申すべし。或は乞食・桑門の上にも及ぶべし。於句は身上を出づべからず。も し身外を吟ぜば、あしくば害を求め侍らん」。 [口語訳]    玉祭うまれぬ先の父こひし        甘泉  私去来は「あなたは、あなたが生まれる前にお父さまを亡くされたのですか?」 と尋ねました。甘泉は「一昨年お葬式をしました。」と答えました。そこで去来は 「でしたらこれは他人のことを詠んだ句ですね。だとしたら、あなたの句としては 面白くないですね。一般的に、発句を詠む場合には、その心持としては、思いやり のないような状態・常軌を逸しているような狂った状態・聖人君子や賢人のような 境地・お釈迦様や祖師のような悟りの境地など自由に想像してみるのも良いでしょ う。詠む場面としては内裏や上皇の御所のうわさを申しても良いでしょう。あるい はこじきや僧侶の身の上話に及ぶことがあっても良いでしょう。ただし句を詠むに あたっては自分のことは自分のこととして詠み、自分のことの範囲から出てはいけ ません。もし他人のことを自分のこととして詠んだならば、悪くすると害を招くこ とになりますよ。」と言いました。    御命講やあたまの青き新比丘尼        許六  去來曰く「七字かくいひ下さんはいかゞ。此れを直さば、一句しほり出で來ら ん」。許六曰く「しほりは自然の事也。求めて作すべからず。此の七字を以てほ句 也。其角もさこそ評し侍りける也」。 [口語訳]    御命講やあたまの青き新比丘尼        許六 私去来が「中の七字(あたまの青き)をこのように言いきっているのはいかがなも のでしょうか?これを直したら、一句にしおり(しみじみとした情)が出てきます でしょうに。」と言いました。許六は「しおりというのは自然に出てくるものです よ。それを求めて句を詠んではいけません。この七字があるからこそ発句なんです よ。其角もそのように批評していますよ。」と言いました。    門口や牛玉めくれてはつしぐれ        作者不覺  去來曰く、此句彦根より見せられたるに、其角がよろぼうしの門札の句と等類と 評す。予はなはだ誤なり。その比は少し似たる事もけゝしく嫌ひのぞきて、一句の 惣體をしらず。門と云ひ、札といふにて、はや等類の評をなせり。いとあさまし。 [口語訳]    門口や牛玉(注15)めくれてはつしぐれ        作者不覺  この句を彦根(の許六)から見せられたときに、其角の「弱法師我門ゆるせ餅の札 (ヨロヨロした乞食さん、餅はもう他の乞食にあげちゃったよという札を貼った 私の家の門のことを許してくださいな)」という句と等類だと批評しました。 私はまったく間違っていました。そのころは少し似ているということでも 大げさに嫌って等類の句として除外してしまい、一句を全体として判断することを 知りませんでした。門といい、札といっている点で、すぐに等類の句であるという 批評をしてしまいました。なんとひどいことを言ってしまったんでしょう。    猪の鼻ぐずつかす西瓜かな        卯七  去來曰く「させる事なし。三四分の句也。」正秀曰く「猪なればこそ鼻はぐずつ かしけん」と甚だ悦ばれり。其後先師も「一興有り」と也。去來曰く「退きておも ふに、この比いまだ上方西瓜珍し。正秀もめづらしとおもふ心より、猪のあやしみ たるとは風情聞き出だせり。予は西國生れにて西瓜も瓜茄子の如し。曾て心ゆか ず。惣て人の句をきくに、我がしる場・しらざる場にたがひ有りて、虎の咄をきゝ て、追はれたるものゝ汗をあがしたるとゆへる類也」。 [口語訳]    猪の鼻ぐずつかす西瓜かな        卯七  私去来が「たいしたこともない句です。10点満点で3点4点といったところの 句です。」と言いました。正秀は「イノシシだからこそ鼻をぐずつかせたのでしょ う。」と言ってとても喜びました。その後先師も「ちょっとした面白さがありま す。」とおっしゃいました。去来は「後でゆっくり考えて思ったことですが、この ごろでもまだ関西ではスイカが珍しいんです。(近江出身の)正秀もスイカが珍し いと思う気持ちから、イノシシが(スイカってどんなものだろう?)と疑いつつ、 においをかいで調べている様子を風情のあるものと見出したのです。私はもっと西 の地方(長崎)の出身ですからスイカもウリやナスのようなもので、さして珍しく もありません。だからまったく納得がいかなかったのです。一般に他人の句を鑑賞 する時には、自分が経験している場合・経験していない場合に違いがありますか ら、たとえばトラの話を聞いて、トラに追いかけられたことのある人が冷汗を流し たというのと同じようなものです。」と言いました。    まんぢうで人を尋ねよ山ざくら        其角  許六曰く「是はなぞといふ句也」。去來曰く「なぞにもせよ、謂い不應と云ふ句 也。たとへば灯(提)燈で人を尋ねよといへるは、直に灯(提)燈もてたづねよ 也。是は饅頭をとらせんほどに、人をたづねてこよと謂へる事を、我一人合點した る句也。むかし聞句といふ物あり。それは句の切様、或はてにはのあやを以て聞ゆ る句也。此句は其類にもあらず」。 [口語訳]    まんぢうで人を尋ねよ山ざくら        其角  許六が「これは謎かけという句ですね。」と言いましたので、私去来は「謎かけ の句であるにせよ、言い足りていないっていう句ですよ。たとえば、「提灯で人を 尋ねよ」という句ならば、そのとおり提灯を持って私のところを訪問しなさい、の 意味です。この句は饅頭をあげるから、私のところに来なさい、ということを、 作者一人だけで喜んでいる句です。昔、聞き句というものがありました。それ は、句の区切り方、あるいは助詞などの言葉の使い方に気をつけたら意味が通じる ようになる句のことです。この句はそのような種類でもないです。」と言いました。    あさがほ(草冠に舜)にほうき打敷くおとこ哉        風毛  魯町曰く「此句、或人の長點也。いかゞ侍るや」。去來曰く「ほ句といはゞ謂は れんのみ」。杜年曰く「先師の、あさがほに我は食(飯)喰ふおとこ哉と、いか成 る處に秀拙侍るや」。來曰く「先師の句は「和角蓼螢句(かくがたでほたるのくに わす)」といへるにて、飽くまで巧みたる句の答へ也。句上に事なし。こたゆる處 に趣あり。風毛が句は、前後表裏一の見るべき物なし。如此句は、口を開けば出る 物也。こゝろ見に作りてみせん。題を出されよ」。町則ち露と云ふ。「露落ちてゑ りこそばゆき木陰哉」。きくと云ふ。「きく咲いてやねのかざりや山ばたけ」と、 十題十句言下に賦し「もしはらみ句の疑もあらん。一題を乞ひて十句せん」。町、 砧と云ふ。「娘よりよめの音よはき砧哉。乗懸けのねむりをさます砧哉」といふを はじめ、十句筆をおかせず。「予は蕉門遅吟第一の名有るすらかくのごとし。いは んや集にも出でたる先師の句なれば、各別の處ありとおもひしらるべし」。 [口語訳]    あさがほ(草冠に舜)にほうき打敷くおとこ哉        風毛  魯町が「この句は、ある人が良い点をつけました。みなさんは、どのように思わ れますか?」と言いました。私去来は「発句だと言われれば、まぁそうです、と言 うだけですね。」と言いました。杜年が「先師の「あさがほに我は食(飯)喰ふお とこ哉(注16)(アサガオを見て、私はご飯を食べている平凡な男ですよ。)」 という句と比べて、どういう点で上手下手があるんでしょうか?」と尋ねましたので、 去来は「先師の句は「其角の「草の戸に我は蓼くふ螢かな(質素な草庵に住む私は、 人の好まぬ蓼を食う蛍ですよ)」という句に答えた句といえますから、あくまで技巧的 な表現の句に応じて答えた句です。この句だけ読んだのではなんということもない のです。技巧に答えているところに面白味があるのです。風毛の句は、前後表裏、 どこから見ても、一つも見るところのない句です。このような句は、口を開いたら すぐに出てくるような句です。ためしに詠んでみせましょう。題を出して下さ い。」と言いました。そこで、魯町は「露」と言いました。去来は「露落ちてゑり こそばゆき木陰哉(上から露が落ちてきて襟元に入ってきてくすぐったいです、木 陰に入りましたから)」と詠みました。魯町が「菊」と言いました。去来は「きく 咲いてやねのかざりや山ばたけ(菊が咲いて屋根の飾りのようになっています、屋 根の後ろの山畑の菊がね)」と詠みました。十題出されて十句、言われるとすぐに 詠みました。そして、「もしやあらかじめ用意していた句では?という疑いもある でしょう。一題出して下さい、十句詠みましょう。」と言いました。(注17) 魯町は「砧」と言いました。「娘よりよめの音よはき砧哉(娘より嫁の打つ 砧の音のほうが弱いです)。乗懸けのねむりをさます砧哉(乗りかけ馬 (街道の宿駅の駄賃馬)に乗った旅人の居眠りを覚ますような砧の音です)」 という句をはじめ、十句を次々と詠んで筆を置かせる間もありませんでした。 去来は「私は芭蕉の門人の中では詠むのが一番遅いというので有名ですが、 それでもこのような具合です。まして、句集にも出ている先師の句ですから、 格別の趣きがあると思い知るべきです。」と言いました。   去來曰く「此言は自ら照らふに似たり。然れども當時世間の作者、このあさが ほの句、或は「道なかのむくげは馬にくはれけり」などいふ句躰のまゝにまよひ て、あさましき句を咄(吐)き出し、芭蕉流とおぼえたるやから有り。其輩にしら せんために、此を記し出し侍るなり」。 [口語訳]   この発言は自分で自慢しているように見えます。けれども当時の世間の 俳諧の作者は、このアサガオの句、あるいは、「道なかのむくげは馬にくはれ けり(道の中に枝の出ているムクゲは馬に食べられましたよ)」などという句のよ うにありのままを詠んで一見無技巧な言い捨てのように見える句体がままあること から誤解して、みっともない句を吐き出し、芭蕉流だと思っている人々がいます。 その人々に知らせるために、これを記録したのです。    年たつや家中の禮は星づきよ        其角    元日や土つかふたるかほもせず       去來  許六の説、當時元日と云ふ冠用ゆまじき難あり。去來曰く「元日は嫌ふべき事に あらず。「や」の字平懐にきこゆ。此難なるべし。此句、元日といふほかなし。 「や」は嘆美したるの詞也」。許六曰く「其角此句を吟じ「春立つといへば歳旦に あらず、元日はいひ古りたり」と窺ふ。先師曰く「さばかりの作者の今日元日とい はんは拙かるべし」とて、年たつやとは置き給へり。又、「や」の字に嘆賞のやと いふはなし。五つめの「や」はうたがひの「や」とは習ひ侍る」。去來曰く「角が 句に於ては先師かくの給ふべし。予が句に於てさはの給はじ。作者の甲乙を以てい ふにはあらず。己々(各々)の志ざす處に違有り。予は珍物新詞を以てつねに第二 等に置き侍る。そこは先師も能く見ゆるし給へり。又嘆美の「や」は名目にはな し。名目を以て謂はゞ治定の「や」也。治定にも嘆息嘆美あり。古今集の和歌にも あり。世話にも「さいたりや虎御前」「切りたりやむさし坊」といふ、皆治定嘆美 也」と論ず。猶、後賢判じ玉へ。 [口語訳]    年たつや家中の禮は星づきよ        其角    元日や土つかふたるかほもせず       去來  許六の説に、今日この頃では、元日という言葉は平凡すぎて上の句に使ってはな らない、という非難がありました。私去来は「元日という言葉は嫌うべきではあり ません。「や」の文字がつまらないものに見えるのでしょう。こちらの問題ですね。 この句は元日というほかありません。この「や」は元日を讃える意味の「や」なので す。」と言いました。許六は「其角が自分の句を詠んで「春立つといったら年の始めに ならないですし、元日といったら言い古した表現ですよね。」と先師におうかがい しました。先師は「其角ほどの作者が、今日、元日というのは、まずいこと でしょうね。」とおっしゃって、年たつや、と置き換えられました。また、 「や」の文字に嘆賞の「や」というのはないですよ。五つめ(上から五音目、 上五の最後)の「や」は疑いの「や」と習いましたよ。」と言いました。 去来は「其角の句については先師はなるほどそのようにおっしゃったでしょうね。 私の句についてはきっとそのようにはおっしゃいませんよ。どちらの作者が 良い悪い、ということで言うのではありませんよ。其角も私も各々でこころざす ところに違いがあります。私は珍しいものや新しい言葉を使うのはいつも二番目の こととしています。その点は先師もよく見ていらっしゃって、お許しになっています。 また、歎美の「や」は切れ字の分類としてはありません。その分類でいえば治定の 「や」です。治定の中にも嘆息嘆美が含まれています。古今集の和歌にもあります。 世間一般でも「さいたりや虎御前(杯をよくもまぁ十郎にさしたことよ、 虎御前=曾我十郎の恋人)」「切りたりやむさし坊(よくもまぁ切りましたね、 武蔵暴弁慶よ)」といいます。これらはみんな治定・嘆美です。」と論じました。 さらに、後世の賢い人よ、判断なさって下さい。(注18)  風國曰く「彦根のほ句、一句に季節を二つ入るる手曲有り。尤難ずべし」。去來 曰く「一句に季節二三有るとも難なかるべし。もとより好む事にもあらず」。許六 曰く「一句に季節を二つ用ゆる事、初心の成しがたき事也。季と季のかよふ處あ り」。去來曰く「一句に同季を二つ用ふる事は、功者初心によるべからず。されど 許六の季と季のかよふ處に習ありといへるは、予がいまだしらざる事也」。 [口語訳]  風国が「許六を中心とした彦根の人たちの発句は、一句に季節を入れるというよ く用いる手法があります。もっとも非難すべきことですよ。」と言いました。私去 来は「一句に季節が二三あっても問題ないでしょう。もとより好ましいことではあ りませんが。」と言いました。許六は「一句に季節を二つ用いることは、初心者で は難しいことです。季節と季節が通いあうことがあります。」 と言いました。去来は「一句に同じ季節を用いることは、熟練者か初心者かによる わけではありません。けれども許六が、季節と季節が通いあえばよしとすること がある、と言うのは、わたしがまだ知らないことです。」と言いました。    盲より唖のかはゆき月見哉        去來  この比、或る連歌師曰く「花の本にて此の評あり。徘(俳)諧もかゝる感情の句 あれば、あなどりがたしと也」。去來曰く「此句は十七八年まへの句なり。そのこ ろは先師にも賞せられ、世上にもさたありし句也。尤事新ら敷感ふかしといへど、 句位を論ずるに至りては甚だ下品也。今日蕉門の徘友中々此場に居らず。是を賞せ らるゝと聞きて却つて今日の連歌師たのもしからずおもひ侍る也」。 [口語訳]    盲より唖のかはゆき月見哉        去來  最近、ある連歌師が「連歌師の宗匠である里村家(注19)でこの句の批評が ありました。俳諧もこのような感情の句があるのですから、あなどりがたいですね。」 と言っていました。私去来は「この句は17、8年前の句です。そのころは先師にも ほめられ、世間にも評判の良かった句でした。一見新しくも感が深くも 見えるけれど、句の位を論じるような段階では、はなはだ下等な句 です。今日では芭蕉の門下の俳友はもうすでにこのような段階にはいません。この 句をほめられたと聞いて、かえって、現在の連歌師は頼りないなぁと思いました よ。」と言いました。    時雨るゝや紅粉の小袖を吹きかへし        去來  正秀曰く「いとに寄るのたぐひ、去來一生の句くずなり」。去來曰く「正秀が 評、いまだ解し得ず。予はたゞ時雨もてくるあらしの路上に、紅粉の小袖吹きかへ したるけしき、紅葉落しおろす山おろしの風ともとながめたる上の徘諧なるべしと 作し侍るのみ也」。 [口語訳]    時雨るゝや紅粉の小袖を吹きかへし        去來  正秀が「紀貫之が「糸による」(注20)という自分の歌を古今集の中の歌のクズ と批評した(注21)ように、この句は去来の一生の句の中では句のクズです。」と 言いました。私去来は「正秀の批評は、いまだに理解できません。私はただ時雨が 運んできたような嵐の路上で、紅絹(もみ)の小袖が吹き返されている景色を、和 歌に詠まれた、紅葉を吹き落とす山おろしの風(注22)、とでもあろうかとながめ た上で、俳諧になるだろうと詠んだだけです。」と言いました。      はつのいのこに丁どしぐるゝ    生鯛のぴちぴちするをだいにのせ      どこへ行くやらうらの三介  去來曰く、此付句「臺にのせ」といへる處、いのこの祝儀と極めて、此分過ぎた り。やはり、「ぴちぴちとしてはねかへり」などあらまほし。しからば次の付句ま でもよからん。かゝる處より手おもくなれり。惣じて一句に謂ひ盡くしたるは、あ とあと付けがたき物なり。 [口語訳]      はつのいのこに丁どしぐるゝ    生鯛のぴちぴちするをだいにのせ(去来の句)     どこへ行くやらうらの三介  この私の付け句は「台にのせ」というところが、亥の子のお祝いに持っていく のだとはっきり決めてしまって、この付け句としては言いすぎています。 「ぴちぴちとしてはねかえり」などと付ければよかったのです。そうすれば、次の 付け句までも良くなったでしょう。このようなところから、展開が重くなってしま うのです。一般的に、一句に言い尽くしたのでは、あとあとが付けにくいものです。    梅の花あかいはあかいはあかいはな        推然  去來曰く、惟然坊がいまの風、大かた是の類也。是等は句とは見えず。先師遷化 の歳の夏、惟然坊が徘諧を導びき給ふに其口質の秀でたる處よりすゝめて「磯際に ざぶりざぶりと浪うちて」或は「杉の木にすうすうと風の吹きわたり」などいふを 賞し給ふ。又「徘諧は季先を以て無分別に作すべし」との給ひ、又「この後いよい よ風体かろからん」など、の給ひける事を聞きまどひ、我が得手にひきかけ、自ら の集の歌仙に侍る「妻呼ぶ雉子」「あくるがごとく」の雪の句などに評し玉ひける 句の勢、句姿などゝいふ事の物語しどもは、皆忘却せらるゝと見えたり。 [口語訳]    梅の花あかいはあかいはあかいはな        推然  惟然坊の今の詠み方は、おおかたこのようなものです。これらは発 句とは見えません。先師がなくなられた年の夏、先師が惟然坊に俳諧を指導なさっ た時に、彼のふだんの詠みぶりのすぐれたところからそれをのばすようにすすめ て、「磯際にざぶりざぶりと浪うちて(磯のきわにざぶりざぶりと波が打ち寄せ て)」あるいは「杉の木にすうすうと風の吹きわたり(杉の木にすうすうと風が吹 きわたり)」などという句をおほめになりました。また、「俳諧は感動する気持ち に従ってそのままに句を作るべきです。」とおっしゃったり、あるいはま た、「このあと、いよいよ句の風体が軽くなるでしょうね。」などとおっしゃった ことを聞き間違えて、自分の得意なところだけに先師の言葉を適用して、自分の句 集の歌仙にある「妻呼ぶ雉子」「あくるがごとく」(注23)の雪の句などについて 批評された、句の勢い、句の姿、などということについての説明などは、 みんな忘れてしまったように見えましたよ。    行かずして見五湖いりがきの音をきく        素堂    なき人の小袖も今や土用ぼし           ばせを  素堂師の句は、深川ばせを庵におくり給ふ句也。先師の句は、予妹千子が身まか りける比、みのゝ國よりおくり給ふ句也。共にその事をいとなむたゞ中に來れり。 この比、『古蔵集』を見るに、先師の事どもかきちらしたるかたはし、素師の句を あげ、いりがきのたゞ中にきたる事を以て、名人・達人と名誉がられたり。是をも て名人といはゞ、そのそしらるゝ先師の句もかくのごとし。皆人のしりたる事な り。それのみならず、世話にも、人ごといはゞむしろしけといへり。一気の感通、 自然の妙応、かゝる事も有るものとしらるべし。誠に痴人、面前夢を説くべからず となり。 [口語訳]    行かずして見五湖いりがきの音をきく        素堂    なき人の小袖も今や土用ぼし           ばせを  素堂先生の句は、深川の芭蕉庵にお送りになった句です。先師の句は、私の妹の 千子(ちね)がなくなったころ、美濃の国からお送りになった句です。どちらもそ の事を実行している最中に来ました。このごろ『古蔵集』を見ましたら、先師のこ となどを悪く書き散らしたかたはしに、素堂先生の句をあげ、煎り牡蠣をしている 真っ最中に来たことをもって、名人だ達人だと言って、名誉なことだと書いてあり ました。このことをもって名人というなら、その非難の矛先にある先師の句も、同 じように名人の句です。土用干しの最中に先師の句が届いたことは、誰でも皆知っ ていることです。それだけでなく、世間でも、「人ごといはゞむしろしけ(人のう わさをしていると、必ずその当人がひょっこりやってくるものだから、その人の席 を設けておけ)」と言います。気持ちがお互いに通じ、自然に受け答え合うといっ たようなことは、世の中に実際にあることなのだと知るべきです。ほんとうに、 「痴人、面前夢を説くべからず(おろかな人の前では夢の話をしてはいけません、 夢と現実が区別できないのだから、ばかばかしいですよ)」ということですね。    梅白しきのふ(の)や鶴をぬすまれし        ばせを  去來曰く、『ふる蔵集』に此句をあげて、先師のうへをなじりたふし也。これら は物のこゝろをわきまへざる評なり。此句□賞(追従)に似たりと也。凡秋風は洛 陽の富家に生れ、市中を去り、山家に閑居して詩歌をたのしみ、騒人を愛すると きゝて、かれにむかへられ、實に主を風騒隠逸の人とおもひ給へる上の作有り。先 師の心に侫?(諂)なし。評者の心に侫?(諂)あり。其後はしばしばまねけども 行きたまはず。誠にあざむくべし、しゆべからず。又句體の物くるしきは(は)、 その比の風なり。子亥一巡の後評とは各別なるべし。 [口語訳]    梅白しきのふ(の)や鶴をぬすまれし(注24)        ばせを  『古蔵集』ではこの句をあげて、先師のことをなじり倒しています。 これらはものの道理をわきまえない批評です。この句はへつらっているような句だ と書いてあります。だいたい、この句に詠まれた秋風という人は、京都の裕福な家 に生まれながら、騒がしい市中から離れ、山の中の家に隠遁して詩歌を楽しみ、風 流な人を愛すると聞いて、先師が秋風を訪ね、秋風がほんとうに風流隠遁の人だ とお思いになったうえで作った句なのです。先師の心にこびへつらいはありません。 批評する人の心にこそ、こびへつらいがあるのです。その後は、秋風が先師を しばしば招きましたが、お行きになりませんでした。ほんとうに、論語(注25) にあるとおり、君子は道理に合うことでだまされても、道理に合わないことでは だまされませんよ。また、句体がものものしいのは、その当時の作風です。 十二支が一巡して十二年後の今日では、別の批評がありますがね。    鶯の海むいてなくすまの浦        卯七  初は鶯も海むいてなく也。野坡曰く「「鶯も」とあたらんはおもかるべし。やは り「鶯の」といはん」。去來「尤なり」と同じてあらたむ。丈草曰く「「の」とい ひて風情は侍れど、やはりたしかに「鶯も」といはんかた勝るべし」と也。 [口語訳]    鶯の海むいてなくすまの浦        卯七  初めは「鶯も海むいてなく」でした。野坡は「「鶯も」という言葉をあてたら句 が重いでしょう。やはり「鶯の」と言いましょうよ。」と言いました。私去来は 「もっともなことです。」と、同意して改めました。丈草は「「の」というのは風 情はありますが、やはりはっきりと「鶯も」という方がまさっていますよ。」と言 いました。