故實    予初學の時より俳諧の法を知る事を穴勝とせず。此故に、去嫌・季節       等も不覺悟。増して其外の事はいふに及ばず。然れども此篇は先師の       物語有りし事共、僅におぼへ侍るをしるす。 [口語訳] 昔からのしきたり。  私は、俳諧を学びはじめた時から、俳諧の作法を知ること            を、とりたてては、してきませんでした。ですから、去り            嫌い(隣接する句と句の間において用字・用語・表現が重            複・類似するのを嫌って避けるための規定)や季節など            も、きちんとは理解していません。ましてその他のこと            は言うまでもありません。そうではありますが、この篇            は、先師がお話になったことなど、わずかに覚えているこ            とを書きます。  卯七曰く「先師は俳諧の法式を用ひ玉はずや」。去來曰く「是を成程用ひてなづ み玉はず。おもふ所有る時は古式を敗り玉ふ事も有り。されど、私に敗るは稀也。 第一先師の俳諧は、長頭丸以後の俳諧を以て元來とし玉はず。唯、代々の俳諧體に もとづき給へり。凡、俳諧の付句は、已に久しといへども、連俳となるは長頭丸以 来にして、未だ法式なし。仍つて連俳(歌)の式をかり用ひらる。重ねて俳諧の法 式を改作あらるゝにも及ばず。又、上より定りたる法式にもあらず。若、其人あら ば是を損益あるとも罪なるまじ。其時の宗匠連は、みな元來連歌師たるゆへ、連歌 の法式を借り用ひらるゝ也。退ひて思ふに、今日の先師、若、其時に居まさば、連 歌によらず、俳諧の式は別に立つべし。世の人は、俳諧を以て連歌の奴僕のやうに 思へり。先師の沙汰は格別也」。 [口語訳]  卯七が「先師は俳諧の法式を用いられなかったのですか?」と聞きました。私去 来は「法式に一応用いましたが、とらわれませんでした。意図するところがあると きには、古い法式をお破りになることもありました。けれども、破るこ とは、まれでした。第一、先師の俳諧は、貞徳以後の俳諧をもって元来の俳諧とは なさいませんでした。ひたすら、代々の俳諧体にもとづいて いらっしゃいました。一般的に、俳諧の二句の付け句は、すでに古くからあるものと なっていますが、長連句となったのは貞徳以後のことでして、いまだに俳諧独自の 法式はありません。(注26)したがって、連歌の法式を借りて用いられています。 さらにかさねて俳諧の法式として改作なさる必要もませんでした。また、 朝廷から定められた法式でもありません。もし、適当な人がありますれば、 この法式を削ったり増やしたりして改定しても、さしつかえないでしょう。 初期俳諧の宗匠たちは、みなもともとは連歌師でしたから、連歌の法式を借りて 用いられたのです。(注27)先師の前から退出してから考えたのですが、 今の時代の私たちの先師が、もし、俳諧初期にいらっしゃったならば、きっと、 連歌の法式によらず、俳諧の法式は別にお立てになったでしょう。世間の人は、 俳諧を連歌の下っ端のように思っています。先師のお考えは全然別で、連歌と俳諧を 対等だとしていました。(注28)」と答えました。  卯七曰く「蕉門に手爾波留の脇、字留の第三を用ひる事はいかに」。去來曰く 「発句・脇は歌の上下也。是を連ぬるを連歌といふ。一句一句に切るは、長くつら ねんが為也。歌の下の句に字留といふ事なし。文字留と定むるは(連)歌の法也。 是等は連歌の法によらず。歌の下の句の心も、昔の俳諧の格なるべし。昔の句に    守山のいちこさかしく成りにけり     姥らもさぞな嬉しかるらん    まりこ川蹴ればぞ浪はあがりけり     かゝりあしくや人の見るらん 是等、手爾波留の脇の證句也。第三も同じ」。 [口語訳]  卯七が「蕉門では「てには」などの助詞や用言で留めた脇や、体言で留めた第 三を用いるのはどうなんでしょう?」と聞きました。私去来は「発句と脇は和歌の 上の句と下の句の関係です。これを連ねていくのを連歌といいます。五七五と七七 の一句一句に切るのは、長く連ねようとするためです。和歌の下の句に体言留めと いう決まりはありません。脇を体言留めと定めたのは連歌の法式です。俳諧では、 発句脇の留め方は必ずしも連歌の法式によりません。脇を、和歌の下の句と同じよ うに体言留めにしないのも、昔の俳諧の詠み方でしょう。昔の句に    守山のいちこさかしく成りにけり     姥らもさぞな嬉しかるらん(注29)    まりこ川蹴ればぞ浪はあがりけり     かゝりあしくや人の見るらん(注30) とあります。これらは、「てには」留めの脇が昔使われた証拠の句です。第三も 同じことです。」と答えました。  卯七曰く「蕉門に無季の句興行侍るや」。去來曰く「無季の句は折々有り。興行 はいまだ聞かず。先師の曰く「発句も四季のみならず、恋・旅・名所・離別等無季 の句ありたきもの也。されど、如何なる故ありて四季のみとは定め置かれけん、其 事をしらざれば暫く黙止侍る」と也。其無季といふに二つ有り。一つは、前後・表 裏季と見るべき物なし。落馬の即興に、     歩行ならば杖つき坂を落馬哉        ばせを     何となく柴吹くかぜも哀れなり       杉風 又詞に季なしといへども、一句に季と見ゆる所有りて、或は歳旦とも、名月とも定 まるあり。     年々や猿に着せたる猿の面        ばせを 如斯なり」。 [口語訳]  卯七が「蕉門では季節のない発句で連句を巻いたことがありますか?」と聞きま した。私去来は「季節のない句はときどきあります。しかしそれを発句に連句を巻 いたというのはいまだに聞きません。先師がおっしゃるには「発句も、四季だけで なく、恋・旅・名所・離別など季節のない句もあっていいものです。けれども、ど のような理由があって四季だけと決められたまま今日まできたのでしょうか?その 理由を知らないのでしばらく黙っています。」ということでした。その「季節がな い」というのには二つあります。一つは、句の前書きや背景からいっても、また句 の表はもちろん裏の意味から考えても、季節と見るべき物がない句です。落馬の即 興の句に    歩行ならば杖つき坂を落馬哉        ばせを    何となく柴吹くかぜも哀れなり       杉風 のような句です。また言葉の上で季節がないといっても、一句全体に季節を感じる ところがあって、ある句は元旦の句であると、また、ある句は名月の秋の句である と、決められる句があります。    年々や猿に着せたる猿の面        ばせを このような句です。」と答えました。  卯七曰く「ほ句に切字を入るる事は如何」。去來曰く「故あり。先師曰く「汝切 字を知るや」。去來曰く「いまだ傳授なし。只、自分に覺悟し侍る」。先師曰く 「いかに」。去來曰く「假令ば、ほ句は一本木の如しといへども、梢根あり。付句 は枝のごとし。大成といへども全からず。梢根ある句は、切字の有無によらず、ほ 句の體也」。先師曰く「しかり。然れども夫は面影を知りたる也。是を傳授すべ し。切字の事は連俳ともに深く秘す。猥に人に語るべからず」。惣じて、先師に承 はる事多しといへども、秘すべしとありしは是のみなりければ、暫く遠慮し侍る。 第一は、切字を入るるは句を切るため也。切れたる句は字を以て切るに及ばず。い まだ句の切る・切れざるを不知作者のため、先達(て)切字の數を定めらる。此定 むる字を入るる時は、十に七八は自ら句切るるなり。残る二三は入れて切れざる句 (は)、又、入れずして切るる句あり。此故に、或は此「や」は口あひの「や」、 此「し」は過去の「し」にて切れず、或は三段切、是は何切れなどゝ名目して傳授 事とせり。又、丈草の問に先師曰く「歌は三十一字にて切れ、ほ句は十七字にて切 る」。丈草撰入有り。又或問に先師曰く「切字に用ふる時は、四十八字皆切字也。 用ひざる時は一字も切字なし」と也。是等は、皆こゝをしれと障子ひとへを教へ玉 ふ也」。 [口語訳]  卯七が「発句に切れ字を入れるということはどういうことでしょう?」と聞きま した。私去来は「発句に切れ字を入れるのは理由のあることです。先師が「あなた は切れ字を知っていますか?」と聞かれましてね、私去来は「いまだに教わってい ませんが、自分なりに考えていることはあります。」と答えました。それで先師は「どの ように理解しているのですか?」とお聞きになりましたので、去来は「例えば、発 句は一本の木のようであるといいましても、木には梢も根もあります。付け句は枝 のようなものです。大きいといっても完全ではありません。梢や根のある句は、切 れ字の有無にかかわらず、発句の形です。」と答えました。先師は「そのとおりで す。けれども、それだけでは切れ字についてぼんやりわかっているだけです。切れ 字について以下のことを伝授しましょう。切れ字のことは連歌も俳諧もどちらも深 く秘密にしています。みだりに他人に語るべきことではありません。」とおっしゃ いました。だいたい、先師から教えていただくことが多いといいましても、秘密に すべきです!とおっしゃったのはこの切れ字の件だけですから、伝授されたことを 公表するのは、しばらく遠慮させていただきます。(注31)第一に、 切れ字を入れるのは句を切るためです。もともと切れている句は切れ字を使って 切るには及びません。いまだに句が切れる・切れないというのがわからない 作者のために、先輩の指導者たちが切れ字の数をお定めになったのです。 この定められた字を句に入れるときは、十に七八は自然と句が切れています。 残りの二三は入れても切れない句、また、定められた字を入れなくても切れる句が あります。このために、あるいは、この「や」は口調を整えるための口合いの「や」 だといい、この「し」は過去を表す「し」だから切れないといい、あるいは、 三段切れ、この句は何切れなどと名付けて、伝授の内容としました。また、丈草の 質問に先師がお答えになって「和歌は三十一字で切れ、発句は十七字で切れます。」 とおっしゃいました。丈草はたちまちのうちに悟りました。また、ある質問に 先師がお答えになって「切れ字に用いる時は、四十八字みんな切れ字です。 用いない時は一字も切れ字ではありません。」とおっしゃいました。 これらのことはすべて、切れ字のこんなところから理解しなさい!と、 輪郭をお示しになりました。」と答えました。  去來曰く「此事を記す、同門にも亂り成と思ふ人あらん。愚意は格別也。是事穴  勝先師の秘し玉ふべき事にもあらず。只、先師傳授かく有りしゆへなるべし。予  も、秘せよとありけるは書せ(ず)。たゞ、あたりを記して人も推せよと思ひ侍  る也」。 [口語訳]  このことを書くと、蕉門の中にも不謹慎だと思う人もあるでしょう。  私の意見は別です。このことは、しいて、先師が秘密になさっていたことでもあ  りません。ただ、先師が伝授をお受けになられた時、このように秘密にされてい  たのでしょう。私も、先師が、秘密にしなさい!とおっしゃったことは書きませ  ん。ただ、ヒントを書いて他の人も推察していただきたいと思っています。」   卯七曰く「花に定坐ありや」。去來曰く「定坐なし。花の句は、たがひに大切と 譲り相侍るゆへ、十五六句にて出ず。十八句は短句也。十七句目、自ら花の句とな り侍るとなり。當流には此説を用ゆ」。 [口語訳]  卯七が「花の句に定座はありますか?」と聞きました。私去来は「定座はありま せん。花の句は、連衆がお互いに、大切な句だと、譲り合いますから、十五句目十 六句目でも出ません。十八句目は短句です。そういうわけで十七句目が自然と花の 句となる、ということです。蕉門ではこの説を採用します。」と答えました。  卯七曰く「花を引上げて作するはいかに」。去來曰く「引上ぐるに貳品あり。一 は、一坐に賞翫すべき人有りて、其人に花をと思ふ時、其句前に至り、前句より春 季を出して望む也。是を呼出しの花といふ。又一つは、一坐の貴人功者などは他に 花を作す。又兩吟の時は、樂(互)に貳(一)本宛の句主なれば、謙退に及ばず、 何方にても引きあげて作する也。扨、故もなく花を呼出すは、呼出すものゝ遇 (過)にして、花主の罪にあらず。又、故もなく自ら引き上ぐるはくわんたいの作 者也。是等の事は隔心の會の式なり。常の稽古にはともかくも有るべし。人ふりか ゆる花有り。是は、花一句と思ふ人の句所惡しきとき、我句を前にふり替へて花を 渡す事也」。 [口語訳]  卯七が「花の句を、花の定座より前に引き上げて詠むのは、どんな場合でしょう か?」と聞きました。私去来は「花の句を引き上げるのは二つの場合があります。 一つは、一座の中に花の句を詠むのにふさわしい人がいて、その人に花の句を詠ん でもらおうと思うとき、その人の句の前になって、前の句から春の季節を出して花 の句を詠んでいただきたいという場合です。この場合のことを呼び出しの花といい ます。もう一つは、一座の中の身分の高い人や上手な人などが定座のほかに花を詠 む場合です。また、両吟のときは、互いに花の句を一句ずつ担当することになりま すから、遠慮するには及びません、どこであっても引き上げて詠んでいいのです。 ところで、理由もなく花の句を呼び出すのは、呼び出した人の失敗であって、花の 句を詠んだ人の罪ではありません。また、理由もなく自分勝手に引き上げて詠むの は、不作法な詠み手です。これらのことは、遠慮のある人たちと巻く表向きの法式 です。日常の練習ではいろいろあってもいいでしょう。他の人に振り替える花の句 というのがあります。これは、ぜひ花の句を一句詠んでいただきたいと思う人が、 順番がまずくて花の句にあたらないとき、順番を変わって、自分がその人の前に詠 んで、その人に花の句を譲り渡す事です。」と答えました。  卯七曰く「『猿蓑』に花を櫻にかへらるゝはいかに」。去來曰く「此時予、花を 櫻に替へんと乞ふ。先師曰く「故はいかに」。去來曰く「凡、花はさくらにあらず といへる、一通りはする事にして、花聟・茶の出花なども花やかなるによる。花や かなりといふも、よる所あり。必(畢)竟、花は咲く節をのがるまじとおもひ侍る 也。」先師曰く「さればよ、いにしへは四本の内一本は櫻也。汝がいふ所も故なき にあらず。ともかくも作すべし。されど、尋常の櫻にて替へたるは詮なからん」と 也。予「糸櫻はら一ぱいに咲きにけり」と吟じければ、「句、我儘也」と笑ひ玉ひ けり」。 [口語訳]  卯七が「『猿蓑』の中で花の句を桜に替えましたが、どういう理由なのでしょう か?」と聞きました。私去来は「ああ、このときですね、私が先師に花を桜に替え てくださいとお願いしたんですよ。先師が「どんな理由なんですか?」とお聞きに なりましたので、私は「一般的に、連歌・俳諧で詠まれる花の句の花は桜ではない といいます、一応は世間でもそうしていることでして、花婿・茶の出花なども華や かだから正花としています。華やかであるというのも、根拠のあることです。つま り、花は咲く季節をのがれられないと思っているのです。」と答えました。先師は 「そういうことですから、昔は花の句4本のうち1本は桜でした。あなたが言うの も理由がないわけではないです。ともかく詠んでみなさい。しかし、普通の桜で替 えたのでは意味がないでしょう。」とおっしゃいましたので、私は「糸櫻はら一ぱ いに咲きにけり(枝垂桜が思う存分に咲いています)」(注32)と詠みましたら、 「その句、わがままですねぇ!」とお笑いになりましたよ。」と答えました。  卯七野明曰く「蕉門、戀を一句にても捨つるはいかに」。去來曰く「予、此こと を窺ふ。先師曰く「いにしへは戀の句數定まらず。勅以後、二句以上五句となる。 是、禮式の法也。一句にて捨てざるは、大切の戀句にあいさつなからんはいかゞ也 となり。一説に、戀は陰陽和合の句なれば、一句にて捨つべからずともいへり。皆 大切に思ふゆへ也。予が一句にても捨てよといふも、いよいよ大切におもふ故也。 汝等は知るまじ。昔は、戀一句出づれば、相手の作者は戀をしかけられたりとあい さつせり。又、五十員・百員といへども、戀句なければ一巻といはず、はした物と す。かく斗大切なるゆへ、みな戀句になづみ、僅貳句一所出づれば幸とし、却而巻 中戀句希也。又多くは、戀句よりしぶり、吟おもく、一巻不出来になれり。此故 に、戀句出でて付けよからん時は、二句か五句もすべし。付けがたからん時はしゐ て付けずとも一句にても捨てよといへり。かくいふも何とぞ巻面の能く、戀句も 度々出でよかしとおもふゆへ也。勅の上をかくいふは恐れ有るに似たれど、夫は連 歌の事にて、俳諧の上にあらねば奉背にもあらず。然れども古人の罪人たる事をま ぬかれ(ず)、唯後學の作して能からん事を思ひ侍るのみ也」」。 [口語訳]  卯七と野明が「蕉門では恋を一句詠んだだけで打ち切ってしまうのはどういう理 由でしょうか?」と聞きました。私去来は「私も同じことを先師にお尋ねしました よ。先師は「昔は恋の句の数も決まっていませんでした。 勅以後(注33)、二句以上五句となりました。これは、連歌の正式興行の 場合の決まりです。一句だけで打ち切らないのは、大切な恋句にあいさつがないの はいかがなものか、ということです。一説には、恋は男女和合の句であるから、一 句で打ち切ってはいけないともいいます。みな、恋句を大切に思うからです。私 が、一句でも打ち切りなさい、というのも、さらにさらに恋句を大切に思うからで す。あなたがたは知らないでしょうね。昔は、恋一句が出たなら、相手の詠み手は 「恋をしかけられました。」とあいさつしたものです。また、五十韻・百韻といっ ても、恋句がなければ一巻とはいわないで、半端物とします。このように大切なも のですから、みな恋句に難渋し、僅かに二句一ヶ所出ればこれ幸いとし、もう恋句 を詠まなくなるので、かえって巻の中に恋句がまれになってしまうのです。また多 くの場合、恋句のところから句が出にくくなり、詠むのが重苦しくなって、巻全体 が不出来になってしまいます。こんなわけですから、恋句が出て付けやすいときに は、二句から五句までも付けるべきです。付けにくいときには、無理をして付けな くても一句でも打ち切りなさい、と言うのです。このように言うのも、なんとか巻 全体が良くなり、恋句もたびたび出てほしいなぁ、と思うからです。勅諚にあった ことについてこのように言うのはおそれおおいことのようですが、勅諚は連歌のこ とで、俳諧についてのことではないですから勅諚にそむき奉ることでもありませ ん。けれども、昔の人の言うことに逆らったという罪は免れず、ただ後の世の人が 私の言うことを学んで実作して(なるほど、この方が良い)となることを、思って いるだけです。」とおっしゃいましたよ。」と答えました。  卯七曰く「蕉門に宵闇を月に用ひ侍るや」。去來曰く「此事あり。洒堂曰く「深 川の會に宵闇の句出でたり。先師曰く、宵闇は句中に月あれば、外に月の句作せん は拙なかるべしと、直に月に用ひ、扨表に月を見せざらんもいかゞと月次の月の字 を入れらるゝ」といへり。さもあるべき事とおもへり。其後、風國が會に宵闇の句 出づ。予曰く「先師已に是式を立てらるゝ上は、いざ其法にならはん」と、是を月 に用ひ侍りぬ。此頃許六の書を見るに「先師の宵闇を月にし玉ふは故ありての事 也。然るを、何のゆへなく月に用ひるは淺ましし」と也。此言葉を聞きて恥にくか ら(るにたへ)ず。許六は其深川の會徒也。いか様子細有るべし」。 [口語訳]  卯七が「蕉門では宵闇(旧暦19日以後、月の出が遅くなって宵の間が暗いこ と)という言葉を月の句に使いますか?」と聞きました。私去来は「ええ、使った こともありましたよ。洒堂が「深川で歌仙を巻いた時に宵闇の句が出ました。先師 が、宵闇を詠んだということは句の中に月が出ることを暗示しているので、ほかに 月の句を詠むのはまずいだろうね、とおっしゃって、そのまま月の句として扱い い、さて表に月の字を見せないのもどうでしょうねぇ、と月次(1月・2 月・・・の月)の月の字をお入れになりましたよ。」と言っていました。私は、さ もありそうなことだな、と思いました。その後、風国が主催して巻いた時に宵闇の 句が出ました。私は「先師が既に法式をお立てになった以上は、さぁ、その法式に のっとりましょう。」と言って、この宵闇の句を月の句に使いました。最近許六が 書いた本を見ると「先師が宵闇の句を月の句になさったのは、理由があってのこと です。それなのに、去来さんが何の理由もなく宵闇を月の句に使ったのは、みっと もないことでしたねぇ。」と書いてありました。この言葉を聞いて、私は恥ずかし くてたまりませんでした。許六はその時の深川での連衆でしたから、 もっと細かいことを知っているでしょうね。」と答えました。  野坡曰く「東武の會に盆を釋教とせず。嵐雪是を難ず。先師曰く「盆を釋教とい はゞ、正月神祇なるか」と也」。予兎角をいはず。退いて思ふに此事はいか様故あ らん。一句に釋教なしといふとも、已に盆といはゞ釋教ならんか。中元といふ類に はあらず。いとふしん也。 [口語訳]  野坡が「江戸で歌仙を巻いた時には、盆を釈教の句にはしませんでした。嵐雪が このことを非難しました。先師は「盆を釈教といったら、正月は神祇の句です か?」とおっしゃいましたよ。」と言いました。私は、このことについて、どうこ う言いませんでした。その場を離れてから考えたのですが、このことは何らかの理 由があるのでしょう。一句の内容に釈教が詠まれていなくても、すでに盆と言った ら釈教の句ではないでしょうか?中元(旧暦7月15日)というような種類の言葉 ではないのです。とても疑問です。  去來曰く「許六と名月の明の字(を)論ず。予は「第一、八月十五夜は婁宿也。 清明を用ゆる。第二、和歌にて今宵清明をよめり。第三、詩にも新明の字あり。第 四、本朝の習、字義叶ふをかり用ふる事あり。富士を不二、吉野を芳野と書くが如 し。第五、先達明の字書かれたる多し。明の字書きて苦しからじ」と云ふ也。許六 は「明月と八月十五夜とは和歌の題各別也。明月は良夜の月の事也。名月に明の字 書くは未練」といへり。是論至極也。若、明月の題を得て、中秋の月を作せば放題 ならん。名月に明の字書くまじき事必せり」。 [口語訳]  許六と名月の明の字を議論しました。私は「第一に、八月十五夜は婁宿 (中国の古代暦の28宿の一つ)です。婁宿には清明という言葉を使います。第 二に、和歌でも「今宵清明」と詠んでいます。第三に、漢詩にも晴明(新明よりこ ちらのほうがよい、この字の版本もある)の字があります。第四に、我が国の習慣 で、字の意味がふさわしいと同音の他の字を借りて用いることがあります。富士を 不二、吉野を芳野と書くようなものです。第五に、俳諧の先輩たちも明の字を書い ているのが多いです。明の字を書いて問題ないです。」と言いました。許六は「明 月と八月十五夜とは和歌の題では各々別のものです。明月は良夜(月の明るい夜) の月のことです。名月に明の字を書くのは未熟者だといえます。」と言いました。 この許六の論はまことにもっともな論です。もし、明月の題が出て、中秋の月を詠 んだなら、題からはずれています。名月に明の字を書いてはいけないのは、間違い ないことです!  許六曰く「村雨は季なし。季を結ぶに習有り。熊野の謡に「なふなふ、村雨のし て花を散らし候」といふは、歌道をしらぬものゝ作」と也。去來曰く「村雨多くは 夏のはじめ、秋の半によみ侍る。歌人に問ふに、月にも花にも結ぶ也。春のすゑ、 夏の始、遲櫻などに結び侍る事にや。いまだ證歌は覺悟せず。退いておもふに、急 雨と書して必(畢)竟一陳(降)雨なれば、其風情能くうつし得ばいつをかぎるま じ。無季なるもかゝるゆへにや」。 [口語訳]  許六が「村雨という言葉には季節がありません。しかし、特定の季節と結びつけ るには慣習があります。熊野の謡曲に「なふなふ、村雨のして花を散らし候(ねぇ ねぇ、村雨のせいで花を散らしていますよ)」というのは、歌道を知らない人が作 ったのです。」と言いました。私去来は「おっしゃるとおり、村雨の多くは夏の初 めから秋の中頃までに詠まれます。ですが、ある歌人に聞きましたところ、月にも 花にも結びつけて詠むそうです。春の末、夏の初め、遅咲きの桜などに結びつける のでしょうか。私はいまだに証拠となる和歌を知りません。後で考えたのですが、 村雨は急雨とも書いて、つまりその字のようにサッと一降りする雨ですから、その 風情をよく句に写すことができたら、いつと限らなくていいでしょう。村雨が無季 であるのも、このような理由でしょう。」と言いました。  去來曰く「手爾波は天下一まいの手爾波にて誰もしる物也。一字もたがひあれ ば、必ず不通。又傳受ある手爾波といふに至つては、天下に知る人すくなく、堂上 にも傳受は人多くましまさずと也。此より初めて人の歌も直り玉ふとかや。又、地 下に傳受の一すじあり。紹巴・貞徳も此傳也。先師も此傳と承はる。我輩の亂にい ふ事にあらず。」 [口語訳]  助詞「てには」は世間一般に共通の「てには」であって誰でも知ってい るものです。使い方が一字でも間違っていたら、必ず意味が通じなくなります。ま た一方、伝授される「てには」というにいたっては、世間でも知っている人が少な く、宮中やお公家さんでも伝授された人は多くはいらっしゃらないそうです。「て には」の伝授があってから初めて、他人の歌の添削がおできになるそうです。ま た、庶民の連歌・俳諧でも伝授の一派があります。紹巴・貞徳もこの伝授を受けて います。先師もこの伝授をお受けになったと聞いています。ですから「てには」に ついては、私がみだりに言うことではありません。  許六曰く「古事古歌を取るには、作を並べて己が心を盡くす。たとへば、    名將の橋の反見る扇かな といへるは、名將の作にして句主の作にあらず。」 [口語訳]  許六が「古い出来事や古い歌から題材を取るには、題材と自分の作品とを並べて 比べて、自分の言おうとする事が独創的に言えているかどうか十分気を配るべきで す。たとえば、    名將の橋の反見る扇かな という句は、名将の故事(注34)によるもので、詠んだ人が創意工夫した句で はありません。」と言っています。  先師曰く「世上の俳諧の文章を見るに、或は漢文を倭名に和らげ、或は和歌の文 章に漢章を入れ、詞あしく賤しくいひなし、或は人情をいふとても今日のさかしき くまぐま迄探り求め、西鶴が淺ましく下れる姿あり。我徒の文章は慥に作意をた て、文字は譬ひ漢章をかるともなだらかに言ひつゞけ、事は鄙俗の上に及ぶとも懐 しくいひとるべし」と也。 [口語訳]  先師は「世間の俳諧の文章を見ると、あるものは漢文を仮名まじり文でやわら げ、あるものは和歌的な文章に漢文を入れ、文章が悪く下品な言い方をし、 あるものは人情について述べるといいながら、今日のこざかしい人情をすみずみま で探り求め、西鶴のようにあさましく下品になった姿の文章があります。私たちの 文章は書く意図を明確にし、文字はたとえ漢字・漢語を入れてもなだらかに言い続 け、庶民の生活に言及しても奥ゆかしい言い方を採用するべきで す。」とおっしゃいました。  去來曰く「古事・古歌を取るには、本歌を一段すり上げて作すべし。譬へば、蛤 よりは石花をうれかしと言ふ西行の歌を取りて、     かきよりは海苔をば老の賣りはせで と先師の作あり。本歌は同じ生物をうるともかきを賣れ、石花はかんきんの二字に 叶ふといふを、先師は生物を賣らんよりのりをうれ、海苔は法にかなふと、一段す り上げて作り玉ふ也。老の字力あり。大概かくのごとし。」 [口語訳]  古い出来事や古い歌から題材を取るときには、もとになった歌よりも 一段高い意味を持つように詠むべきです。例えば、蛤よりは牡蠣を売れと詠んだ西 行の歌(同じくは蠣をぞさして乾しもすべき蛤よりは名もたよりあり)(注35) を本歌にとって、     かきよりは海苔をば老の賣りはせで という先師の作品があります。本歌は同じ生き物を売るといっても蛤より牡蠣を売 れ、牡蠣はかんきん(看経=読経)の二文字に通じるから、と言っているのを、先 師は生き物を売ろうとするよりは海苔を売れ、海苔は法(のり=仏法)に通じるか ら、と、一段高い意味を持つようにお詠みになりました。老の字にも力があります。 おおよそこんなところですよ。  先師曰く「凡、讃名所のほ句は、其讃、其所のほ句と見ゆるやうに作すべし。西 行の讃を定家の繪にも書き、明石のほ句を松嶋にも用ひ侍らんは拙きことなるべし。」 [口語訳]  先師が「だいたい、絵の讃・名所の発句は、その絵の讃・その場所の発句と見え るように詠むべきです。西行の絵の讃を定家の絵にも書き、明石で詠んだ発句を松 嶋でも使うのは、まずいですよ。」とおっしゃいました。  先師曰く「俳名は穴勝熟字によらず、唯となへ清く調ひ、字形の風流なるを用ゆ べし。短冊など書きて猶見る所あり。片名書き侍るに、ことごとしき字形は苦しか るべし。「ばせを」は假名にて書いての自慢也」となり。又、野明が名を初め鳳仞 と言ひけるを、釼・刃の宿る字は名に用ゆべからずとて、先師、野明と改め給ひけ る。 [口語訳]  先師が「俳号は、しいて意味のある熟語によらなくてもいいが、ただ、口調が清 らかで調っていて、字形が風流なのを使うべきです。良い俳号は短冊などに書くと 一層見映えがするものです。省略して下の一字だけを書くときに、仰々しい字形は きっと見苦しいでしょう。私の「ばせを」は仮名で書いたときに自慢できる俳号で す。」とおっしゃいました。また、野明の俳号は、初めは鳳仞といいましたが、 「剣・刃のある字は俳号に使ってはいけない」とおっしゃって、先師は、野明と改 名させました。  去來曰く「俳諧の集の模様は、やはり俳諧の集の内にて作すべし。『後あら野 集』の獻立を見て先師も我を折り給ひき。かの『徒然草』にあつめ書の部に成り て、歌書の内に入らずとかや。思ふべし」。  去來曰く「外題の寸法あり。從は表紙の三分ヶ一を取り、横は五分ヶ一を取ると やらん。『猿みの』の時先師の玉ひけり。慥に覺へず」。 [口語訳]  俳諧集の編集は、やはり俳諧集のやり方の範囲に限って作るべきです。 『後あら野集』の編集を見て、先師はさじを投げてしまわれました。 あの『徒然草』も随筆の部に入って、歌書には数えられないそうです。このへん のことをよくよく考えるべきです。  表紙に貼る題名の紙には決まった寸法があります。縦は表紙の3分の1、 横は5分の1を取るそうです。『猿みの』の時に先師がおっしゃいました。 ちゃんとは覚えていないのですが・・・  魯町曰く「竹植うる日は古來より季にや」。去來曰く「不覺語。先師の句にて初 めて見侍る。古來の季ならずとも、季に然るべき物あらば撰び用ゆべし。先師、季 節の一つも探り出したらんは後世によき賜と也。鹽かきの夜も、古來の季節歟しら ずといへども、五月晦日なれば、夏季に定めて可南が句に沙汰し侍る也」。 [口語訳]  魯町が「「竹植うる日(竹を植える日)」は昔からの季語ですか?」と聞きまし た。私去来は「よく知りません。先師の句(降ずとも竹植る日は蓑と笠)で初めて 見ました。昔からの季語でなくても、季節にふさわしいものがあれば、選んで句に 使うべきです。先師が「季節を表す表現(季語)を一つでも探し出したら後世に良 い贈り物になります。」とおっしゃっています。「鹽かき(代掻き)の夜」も、古 来からの季語かどうか知りませんが、5月末日ですから、夏の季語に定めて私の妻 の可南の詠んだ句(塩かきの夜は声ちかしほとゝぎす)をそのように取扱うように 指示なさいました。」と答えました。  卯七曰く「先師に二見形といふ文臺侍るよしいかゞ」。去來曰く「しかり。史邦 是を乞ひて寫し侍る。先師指圖、寸法を直に聞き侍れど忘却せり。本より文臺も所 持せず。其後門人寫し侍る人多し」。 [口語訳]  卯七が「先師のところに二見形という二見が浦の絵がついた文台があるそうです が、ご存知ですか?」と聞きました。私去来は「そのとおりです。史邦が先師にお 願いして模して同じ文台を造りました。私も先師から指定図面・寸法を直接お聞き しましたが忘れてしまいました。もともとその文台も持っていません。その後門人 の中でもその文台を模して造った人が多いです。」と答えました。  去來曰く「先師の、俳諧書の名は、和歌・詩文・史録・物語等とたがひ、俳諧有 るべしと也。されば、先師の名づけ玉ふを見るに、みなし栗・三ヶ月日記・冬の 日・ひさご・猿みの・葛の松原・笈の小文庫皆其題也」。去來曰く「『浪化集』の 時、上下を有磯海・となみ山と號す。先師曰く「みな和歌の名所なれば紛らはし。 浪化集と呼ぶべし」と也」。魯町曰く「浪化集と、俳書の名は詩・和(歌)・史・ 文を分つべからず」。去來曰く「されば、浪化詩人ならば詩集なるべし。俳諧者さ れば、見るより俳諧書といふ事あきらけし」。 [口語訳]  私去来は「先師が「俳諧書の名は、和歌・漢詩漢文・歴史記録・物語などと違っ て、俳諧らしいところがあるべきです。」とおっしゃっています。ですから、先師 が名前をお付けになったのを見ると、みなし栗・三ヶ月日記・冬の日・ひさご・猿 みの・葛の松原・笈の小文など皆その趣旨にかなった題名です。」と言っておきま す。また「『浪化集』の時、上巻を有磯海、下の巻をとなみ山と名付けました。 先師は「どちらも和歌の名所ですから紛らわしいです。浪化集と呼びましょう。」と おっしゃいました。魯町は「浪化集と言う名では、その俳諧書の名は漢詩・和歌・ 歴史書・物語と区別できません。」と言いました。私去来は「そう言うならば、浪 化が漢詩人ならば漢詩集だとみなされます。しかし浪化は俳諧の者ですから、見る よりも前に名前を聞いただけで俳諧書ということはあきらかです。」と答えました。