修行  去來曰く「蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云ふ有り。是を二つに分けて教 へ玉へる。其元は一つ也。不易を知らざれば基たちがたく、流行を知らざれば風新 たならず。不易は古によろしく、後に叶ふ句成る故、千歳不易といふ。流行は一時 一時の變にして、昨日の風今日宜しからず、今日の風明日に用ひがたき故、一時流 行とはいふ。はやる事をする(いふ)也」。 [口語訳]  蕉門には千歳不易の句と一時流行の句というのがあります。先師はこれを 二つに分けてお教えになっています。そのもとは一つです。不易を知らなけれ ば句を詠む基礎が立てられませんし、流行を知らなければ句風が新しくなりませ ん。不易は古来の伝統から見ても良い句だし、後世になっても良い句として残り得 る句ですから、千歳不易といいます。流行はその時代その時代で変わるものですか ら、昨日の句風が今日では良いものとはなりませんし、今日の句風が明日には採用 しにくいということから、一時流行といいます。一時流行とは、はやっていること をいいます。  魯町曰く「俳諧の基とはいかに」。去來曰く「詞にいひがたし。凡吟詠する物、 品あり。歌は其(一)也。其内品あり。俳諧は其一つ也。其品々をわかち知らるゝ 時は、俳諧(連)歌は如斯なる物也と自ら知らるべし。夫を知らざる宗匠達、俳諧 をするとて詩やら歌やら旋頭・混本歌やら知らぬ事をいへり。是等は俳諧に迷ひ て、俳諧連歌といふ(事)を忘れたり。俳諧を以て文をかくは俳諧文也。歌を詠む は俳諧歌也。身を行はゞ俳諧の人也。唯徒に見を高うし、古を破り、人に違ふを手 柄貌に化言謂ひちらしたるいと見苦し。かく斗器量自慢あらば、俳諧連歌の名目を からず、俳諧鐵炮となりとも、亂聲となりとも一家の風を立てらるべき事也」。 [口語訳]  魯町が「俳諧の基本とはどんなことですか?」と聞きました。私去来は「言葉に は言いにくいです。だいたい、詩歌には、いろいろ種類があります。和歌はその一 つです。その中にも種類があります。俳諧はその一つです。その種類を分けて理解 できた時に、俳諧の連歌はこれこれのようなものと自然にわかることができます。 そのことを知らない宗匠たちは、俳諧をするといって、漢詩やら和歌やら旋頭歌・ 混本歌やらわけのわからないことを言っています。彼らは俳諧という言葉に惑わさ れて、俳諧の連歌ということを忘れているのです。俳諧の精神をもって文章を書く ならば、それは俳諧文です。俳諧の精神をもって和歌を詠むならば、それは俳諧歌 です。俳諧の精神をもって行動するならば、その人は俳諧の人です。(注36) ただやみくもに高慢なものの見方をし、昔からのやり方を破り、他人と違った ことをするのを自慢顔にいいかげんな言葉を言い散らしているのは、たいそう 見苦しいです。このように才能や力量を自慢するのであれば、俳諧の連歌という 名目を使わずに、「俳諧のほら吹き鉄砲」とでも、「がなりたて」とでも名付けて、 俳諧とは別の名前で一家をお立てになったほうがよろしいでしょう。」と答えました。  魯町曰く「不易の句の姿はいかに」。去來曰く「不易の句は俳諧の躰にしていま だ一の物數寄なき句也。一時の物ずき(なき)ゆへに古今に叶へり。たとへば、    月に柄をさしたらば能うちは哉    宗鑑    是は是はとばかり花のよしの山    貞此兵次    初風や伊勢の墓原猶すごし      芭蕉 是等の類也」。魯町曰く「月を團扇に見立てたる、物ずきならずや」。去來曰く 「賦・比・興は俳諧のみに限らず、吟詠の自然なり。凡吟に顯るゝ物、此三句(三 つ)をはなるゝ事なし。物ずきとはいひがたし」。 [口語訳] 魯町が「不易の句の姿とはどのようなものでしょうか?」と聞きました。私去来は 「不易の句は俳諧の句の体であって、いまだ少しも特別な趣向のない句です。一時 的な趣向がないですから昔も今も通用します。たとえば    月に柄をさしたらば能うちは哉    宗鑑    是は是はとばかり花のよしの山    貞此兵次    初風や伊勢の墓原猶すごし      芭蕉 これらのような句です。」と答えました。魯町は「月を団扇に見立てたのは、特別 な趣向ではないのですか?」と聞きました。去来は「六義(注37)の賦(心に 感じるところをありのままに歌う)・比(物事にたとえて情意をのべる)・興 (ある事物に比喩を借りて、かるく感想を述べる)は俳諧だけに限ったことでは ありません、詩歌では自然なことです。だいたい詩歌で表現されるものは 賦・比・興の三つを離れることはありません。特別な趣向とは言いにくいですね。」 と答えました。  魯町曰く「流行の句はいかに」。去來曰く「流行の句は己に一つの物ずき有りて はやる也。裝容(形容)・古歌(衣裳)・器物に至るまで、時々はやり有るがごと し。譬へば、    むすやうに夏にこしきの暑さかな    句體久しく流行す    あれは松にてこそ候へ杉の雪      松下    海老肥えて野老痩せたる友ならん    常矩 或は手をこめ、或は歌書の言葉づかい、又は謡の詞取る抔をもの數寄したるあり。 是等も一時流行し侍れど、今日はとり上ぐる人なし」。魯町曰く「むすやうに夏に こしきと云ふは縁にあらず(や)。去來曰く「縁は歌の一事にして物數寄には非 ず」。手を廻る(込む)と縁とは變りあり」。 [口語訳]  魯町が「流行の句とはどのようなものですか?」と聞きました。私去来は「流行 の句は作者自身に特別な趣向があってはやるのです。姿かたち・衣服・道具にいた るまでその時々の流行があるのと同じです。たとえば    むすやうに夏にこしきの暑さかな    この句体は長い間流行しました。    あれは松にてこそ候へ杉の雪      松下    海老肥えて野老痩せたる友ならん    常矩 ある句は技巧をこらし、ある句は和歌集の言葉づかいをし、また、謡の歌詞をとる など、特別な趣向をこらした句があります。これらの句も、一時的には流行しまし たが、現在では取り上げる人がいません。」と答えました。魯町は「むすやうに夏 にこしきというのは、「むす」と「こしき」とが縁語ではないでしょうか?」と聞 きました。去来は「縁語は和歌の一つの手法であって特別な趣向ではありません。 技巧をこねくりまわすのと縁語とは違います。」と答えました。  魯町曰く「不易流行其元一とはいかに」。去來曰く「此事辨じがたし。有體 に譬へていはむ。まづ不易は無爲の、流行は坐臥・行住・屈伸・伏仰の形同じから ず、一時の變風也。其姿は時は(に)替るといへども、無爲も事有るも元は同じ人 也」。  魯町曰く「風を變ずるには其人有りとはいかに」。去來曰く「基を知らずして末 を變ずる時は、變風俳諧を離れ、或ははなれずといへども拙なし」。魯町曰く「基 より出づると出でざる風はいかに」。去來曰く「基をしらずしては解きがたから ん。先づ、あらはに知る物一二をあげて物語りす。譬へば先師の風といへども、    白魚しろき事一寸    貞固が松布に(けさ)門には(有)女共さ(き)ほへ(ひ)    瀧あり蓮の葉に暫く雨をいだきしが    素堂 是等は、詩か語か、又文字數不合のみにあらず、合ひたるにも、    ちる花にたゝらうらめし暮の聲      幽山 此句は謎なり」。(魯町曰く)「俳諧歌に謎の體もある事にや」。(去來曰く) 「是等は皆はいかい歌(の)體より出でず。察せらるべし」。  魯町曰く「先師も基より出でた(ざ)る風侍るや」。去來曰く「奥脚の前は まゝあり。此行脚の内に工夫し玉ふと見へたり。行脚の内にも、「あなむざんやな 甲の下のきりぎりす」といふ句あり。後に、「あな」の二字を捨てらる。是のみに あらず、異體の句どもはぶき捨て玉ふ多し。此年の冬、初めて不易流行の教を説き 玉へり」。 [口語訳]  魯町が「不易と流行のもとは一つである、とはどういうことですか?」と聞きま した。私去来は「このことは説明しにくいですね。概略を人体に例えて言いましょ う。まず、不易は何も行動しないこと、流行は寝転んだり座ったり、行ったりとま ったり、屈んだり伸びをしたり、うつ伏せになったり仰向けになったり、と人体の 形が同じでないことで、一時的に変わる風・変風のようなものです。その姿は、そ の時々で変わるといっても、何も行動しないのも、時に応じて変わった姿勢を取る のも、もともと同じ人体なのです。」と答えました。  魯町が「風を変えるにはそれにふさわしい人がいる、というのはどういうことで すか?」と聞きました。去来は「基礎を知らないで枝葉末節を変える時は、その変 風は俳諧を離れ、あるいは離れないといっても未熟です。」と答えました。魯町が 「基礎から出てくる変風と基礎から出てきたのではない変風とはどう違うのです か?」と聞きました。去来は「基礎を知らなくては理解しにくいでしょう。まず、 明らかにわかる一二の句を取り上げて説明しましょう。例えば先師の句風といっても、    白魚しろき事一寸    貞固が松布に門には女共さほへ(貞固が松けさ門に有女共きほひ)    瀧あり蓮の葉に暫く雨をいだきしが    素堂  これらは詩句でしょうか、単なる言葉でしょうか?また、文字の数が合わない句だ けではなく、五七五にあっている句にしても、    ちる花にたゝらうらめし暮の聲      幽山 この句は謎の句です。」と答えました。魯町が「俳諧歌に謎の体があるということ ですか?」と聞きました。去来は「これらの句は、皆、俳諧歌の体から出ていませ ん。お察しくださいね。」と答えました。  魯町が「先師も不易から出発しない変風がございましたか?」と聞きました。去 来は「奥の細道の旅の前には時々ありました。この旅の途中で工夫なさったとお見 受けしました。旅の途中でも、「あなむざんやな甲の下のきりぎりす(ああ無残だ なぁ、かぶとの下のキリギリスは。)」という句がありました。後で、「あな」の 二文字をお捨てになりました。これだけではなく、異体の句などを省いてお捨てに なったことが多かったです。この年(元禄2年=1689年)の冬、初めて不易流 行の教えをお説きになりました。」と答えました。  魯町曰く「不易流行の事は古説にや、先師の發明にや」。去來曰く「不易流行の 事は萬事に渡る也。然れども俳諧の先達是をいふ人なし。長頭丸以來手を込むる一 體久しく流行し、「角樽や傾けのもふ丑の年」「花に水あげてさかせば(よ)天龍 寺」といふ迄吟じつめぬれど、世人はいかいは如斯のものとのみ心得て、風を變ず る事をしらず。宗因師一たび其こりかたまりたるを打ち破り玉ひ、新風天下に流行 し侍れど、いまだ此教なし。然りしより此かた、都鄙の宗匠達古風を用ひず、一旦 流々を起せりといへども、又其風をながくおのが物として、時々變ずべき道をしら ず。(先師はじめて俳諧の本體を見付、不易の句を)立て、又風が時々に變ある事 をしり、流行の句と分に(ち)教へ玉ふ。然れども先師(曰)常に曰く「上に宗因 なくむば、我々がはいかい今以て貞徳が涎(れ)をねぶ(ら)るべし宗因は此道 の中興開山也」となり」。  丈草曰く「不易の句も當時其體を好みてはやらば、是も又流行の句といふべ し」。先師遷化の時、正秀曰く「此より後も定めて變風あらん。其風好みなし。唯 不易の句を樂しまん」。去來曰く「蕉門、不易流行の説々あり、或は今日の一句一 句の上をいふ説あり。是も流行にあらずと謂ひがたし。然れども不易流行の佑箸 ふは、はいかい(の)本體、一時一時の變風との事也」。 [口語訳]  魯町が「不易流行というのは古くからの説ですか、先師の発明ですか?」と聞き ました。私去来は「不易流行のことはすべてのことにあてはまります。けれども俳 諧の先人たちでこれを言った人はいないです。貞徳以来技巧をこらした句体が長い 間流行し、「角樽や傾けのもふ丑の年(角樽だよ、傾けて呑もうよ、角の生えてい る牛の年が来たよ。)」「花に水あげてさかせば(よ)天龍寺(花に水をあげて咲 かそうよ、竜が水を上げるように。お花といえば、華道の天竜寺派ってのがある ね。)」という句まで詠み方が突き詰められましたが、世の中の人は、俳諧はこの ようなものさ、とだけ考えて、風を変えることを知りませんでした。宗因師が一度 その凝り固まったのを打ち破りなさいまして、新風が天下に流行しましたが、そ の時にはまだ、この教えがありませんでした。それから最近まで、都・田舎を問わ ず、宗匠達は古くからの句風を用いず、一旦それぞれの流派を起こしたといって も、また、その時の句風を長く自分のものとして、時々によって変えるべきだとい う道を知りませんでした。先師がはじめて俳諧の本来の体を見つけ、不易の句とい う考え方を立て、また、風が時々に変化することを知り、そのことを流行の句とし て、分けてお教えになりました。しかし、先師は常に「私より前に宗因がいなけれ ば、我々の俳諧は今もって貞徳のよだれをなめていたでしょう。宗因はこの道を中 興開山した人です。」とおっしゃっていました。」と答えました。  丈草が「不易の句もその時にその体が好まれて流行したならば、これもまた流行 の句といえます。」と言っていました。先師が亡くなった時、正秀が「これから後 もきっと風が変わるということがあるでしょう。しかし、新風に飛びつくことは ありません。私はただ不易の句だけを楽しみましょう。」と言いました。 私去来は「蕉門には不易流行について諸説があります。現在の一句一句について 不易流行のを考える説もあります。これも流行で はないとは言いにくいです。けれども不易流行の教えというのは、俳諧の本体と、 その時その時の変風とのことです。」と応じました。  去來曰く「俳諧を修行せんと思はゞ、むかしより時代時代の風、宗匠宗匠の體を 能く考へしらるべし。是を知る時は、新古自ら分れ來る物也」。  去來曰く「はいかいの修行は、おのが數寄たる風の先達の句を一筋に尊み學び て、一句一句に不審をおこし、難を構ふべからず。若、解きがたき句あらば、いか さま故あるらんと工夫して、或は功者に尋ぬべし。我がはいかいの上達するにした がひて、人の句も聞ゆる物也。始めより一句一句を咎めがち成る作者は、吟味のう ちに日月かさなりて、終に巧の成りたるを見ず」。  先師曰く「今のはいかいは日頃に工夫を經て、席に望んで氣先を以て吐くべし。 心頭に落すべからず」と也。  支考曰く「昔のはいかいは如來禪の如し、今の俳諧は租師禪の如し。納著すれば 則轉す」。 [口語訳]  私去来は「俳諧を修行しようと思ったら、昔からのその時代その時代の句風、宗 匠宗匠ごとの句体をよく考え理解するべきです。これを理解した時、句の新しさ古 さが、自然と分かれてくるようになるものです。」と言っておきます。  また、去来は「俳諧の修行は、自分が好きな句風の先輩の句を一筋に尊敬して学 ぶべきで、一句一句に疑いを抱き、欠点を探し出したりしてはいけません。もし、 理解しにくい句があれば、どのような理由があるのかと、様々に工夫して考え、あ るいは、熟練者に質問すべきです。自分の俳諧が上達するにしたがって、他の人の 句もわかるようになるものです。始めから一句一句を咎めがちな作者は、一句一句 を吟味するうちに月日がたってしまい、最終的に上手になったというのを見たこと がありません。」と言っておきます。  先師は「今の俳諧では常日頃から工夫を重ねて、連句の席に臨んでは、気の勢い に乗るように句を吐くべきです。心で悩んだり頭でこねくりまわしたりしてはいけ ません。」とおっしゃいました。  支考は「昔の俳諧は如来禅のように順々に筋道を立てて付けるものです。今の俳 諧は祖師禅のようにパッとひらめきで付けるものです。行き詰ったら、すぐ にパッと転じられます。」と言いました。  去來曰く「先師は門人に教へ玉ふに、或は大いに替りたる事あり。譬へば、予に 示し玉ふには「句々さのみ念を入るゝものにあらず。又、一句は手強く慥に俳意作 すべし」と也。凡兆には「一句僅に十七字、一字もおろそかに置くべからず。はい かいもさすがに和歌の一體也。一句にしほりのあるやうに作すべし」と也。是は作 者の氣姓と口質に寄りて也。惡敷心得たる輩は迷ふべきすじ也。同門のうち、是に 迷ひを取る人も多し。」  先師曰く「ほ句は頭よりすらすらと謂ひくだし來るを上品とす」。洒堂曰く「先 師「ほ句は汝が如く二つ三つ取集めする物にあらず。こがねを打ちのべたるが如く 成るべし」と也」。先師曰く「ほ句は物を合はすれば出來せり。其能く取合はする を上手といひ、惡敷を下手といふ」。許六曰く「ほ句は取合はせ物也。先師曰く 「是ほど仕よきことのあるを人はしらず」と也」。去來曰く「物を取合はせて作す る時は、句多く吟速か也。初學の人是を思ふべし。功成るに及んでは、取合はす・ あわざるの論にあらず」。 [口語訳]  私去来は「先師は弟子にお教えになるのに、その相手でたいそう教え方が違うこ とがありました。例えば、私にお示しになるのに「一句一句はそのように念を入れ て詠むものではありません。また、一句は手堅く確実に言いたいことをはっきりと 詠むべきです。」とおっしゃいました。凡兆には「一句はわずかに十七 字、一字もおろそかに置いてはいけません。俳諧もまさしく和歌の一つの体です。 一句にしおりのあるように、繊細な余情を持たせて詠むべきです。」とおっしゃい ました。これは作者の性格と句の詠み方によって教え方を変えられたのです。先師 の教えについて考え違いをしている人たちは、きっと迷ってしまう点でしょうね。 蕉門の人の中でも、この点で戸惑いを覚える人も多いです。」と言っておきます。  先師は「発句は最初の上五文字からすらすらと詠み下してくるのを一番上等とし ます。」とおっしゃいました。洒堂は「先師は「発句はあなたのように二つも三つ も取り集めて詠むものではありません。黄金を打って延ばしたように詠みなさ い。」とおっしゃいました。」と言いました。先師は「発句は物を合わせればでき ます。その合わせ方が、良く取り合わせたのを上手といい、悪く取り合わせたのを 下手というのです。」とおっしゃいました。許六は「発句は取り合わせて詠むもの です。先師が「発句について、これほど詠みやすい方法がある、というのを他の 人々は知らないのですね。」とおっしゃいました。」と言いました。去来は「物を 取り合わせて詠む時は、句も多く出て詠むのも速いです。初心者はこのことを考え なさい。経験が深まった人の場合には、取り合わせる・取り合わせられないという のとは別の議論になってきます。」と言っておきます。  許六曰く「ほ句は題の曲輪を飛び出でて作すべし。廓の内にはなき物なり。自然 曲輪の内に有るは天然にして希也」。去來曰く「ほ句は曲輪の内になきものにあら ず。殊に即興感偶する物は、多く内成り。然れども常に案ずるに内はすくなし。多 くは古人の糟粕也。千里にかけ出でて吟ずる時は、句多きのみにあらず、第一等類 をのがれる。蘭國がはいかい毎句曲輪の内也。予、此事をなせば(示せば)「雷に 徳利さげて通りけり」といふを「徳りさげて行きかゝり」と直す。「明月にみな月 代を剃りにけり」といふを「月代をみな剃り立てて指(駒)迎」と直しぬ。初學の 尤おもふべき所也。功成るに及んでは、又内外の論にあらず」。 [口語訳]  許六が「発句は、題の内側から飛び出して詠むべきです。題材の内側には ないものだと思いなさい。自然に題材の中から見出されるものは天然で まれなものです。」と言いました。私去来は「発句は題材の特定の範囲の中に 取り合わせがないものではありません。ことに、その場で感じてすぐに 詠むような句は、多くが題材の内側にあります。けれども、常日頃の句作には 内側のものは少ないです。多くは昔の人の詠んだ残りカスです。旅に出て千里も 遠く離れて詠む時は、句が多いことだけでなく、第一に同じ発想の句を避けられます。 蘭國の俳諧の句は毎句が二つ目の題材が一つ目の題材の内側です。私がこのことを 示すならば、「雷に徳利さげて通りけり(稲妻が鳴っているところを徳利をさげて通 りました。)」という句を「徳りさげて行きかゝり(徳利をさげて行きかかったところ です。)」と直します。「明月にみな月代を剃りにけり(明るい月の晩にみんなが月代を 剃りました。)」という句を「月代をみな剃り立てて指(駒)迎(月代を皆剃りたてた ばかりなのがはっきりわかる明るい月の晩、東国から献上の馬を迎える八月の逢坂。) と直しました。初心者は最も考えるべきところです。上達してきたならば、また、 題材の内外の議論とは別の問題になってきます。」と答えました。  去來曰く「他流と蕉門と、第一案じ所に違ひ有りと見ゆ。蕉門は氣・情ともに其 ある所を吟ず。他流は心中に巧まるゝと見へたり。譬へば、「御蓬來よるはうす物 着せつべし」「元日の空は青きに出船哉」「鴨川や二度目の網に鮎一つ」といへる がごとし。禁闕に蓬莱なし。二度目に鮎一つは少からざることにや。皆是細工せら るゝ也」。  去來曰く「蕉門のほ句は、一字不通の田夫、十歳以下の小兒も、時に寄りては好 句あり。却而他門の功者といへる人は覺束なし。他流は、其流の功者ならざれば、 其流の好句は成しがたしと見へたり」。 [口語訳]  他流と蕉門とでは、第一に考える所に違いがあると見えます。蕉門は 気持ちも風情も両方ともそれがあるがままのところを詠みます。他流は心の中でこ しらえる句に見えます。例えば「御蓬來よるはうす物着せつべし(正月の蓬莱飾 り、夜は寒そうなので薄物を一枚着せましょうね。)」「元日の空は青きに出船哉 (元日の空が青くておめでたい、さらにめでたく船の初乗りだとさ。)」「鴨川や 二度目の網に鮎一つ(鴨川でね、二度目の網をさしたら鮎一つだけかかった よ。)」という句のようなものです。宮中に蓬莱はありません。二度目の網に鮎一 つでは少なくありませんか?これらはみんな細工された句ですよ。  蕉門の発句は、一字も読めない農夫も、十歳以下の子供も、時によっては よい句があります。かえって他流の名人といえる人は心もとないです。他流 はその流派の名人でなければ、その流派のよい句は詠みにくいように見えます。  去來曰く「俳諧は新ら敷趣を專らとすといへども、物の本性をたがふ(べから ず。若し其事を打返して云ふには品あり)。譬へば、「感時花濺涙、惜別鳥動 (驚)心」或は「櫻花ちらば散らなん散らずとも(大宮人の來ても見なくに」と云 へる類也。感時、惜別)、大宮人の見ざる所、一首の勝(眼)也」。  去來曰く「俳諧は火を水にいひなすを(と)、輔がいへるに迷ひて「雪の降る 日は汗と(を)かきけり」といふても苦しからずといへる人有り。火を水とばかり 心得、いひなすといふ所に心附かざる故也。雪の日汗かくやうに、一句を能くいひ なされなばさもあらん。「咲きかへて盛久しき朝顔を化(仇)なる花と誰かいひけ ん」の類也」。 [口語訳]  俳諧は新しい趣向を求めるといっても、物の本来の性質を取り違えてはいけません。 もしそのことと反対のことを言おうとしたら、いくつか方法があります。 たとえば「感時花濺涙、惜別鳥驚心(時に感じては花にも涙をそそぎ、別れを 惜しんでは鳥にも心を驚かす。)」(注38)あるいは「櫻花ちらば散らなん散ら ずとも大宮人の來ても見なくに(桜の花よ散るならば散りなさい、散らないで咲い ていてもどうせ大宮人はこんな山の中まで来てこの桜の花を見たりしないのだか ら。)」(注39)というようなものです。感時、惜別、大宮人が見ない所、これらは 一首の焦点です。  俳諧は火を水と巧みに言うと、奥義抄で藤原清輔が書いている (注40)のに惑わされて、「雪の降る日は汗をかきけり(雪の降る日には汗を かきました。)」と詠んでも差し支えないと言う人がいます。「火を水」という ところだけおぼえていて、「いひなす(巧みに言う)」という所に気がつかない からです。雪の日に汗をかくように、一句を上手に詠まれているならば、そのとおり、 別にかまいませんよ。「咲きかへて盛久しき朝顔を仇なる花と誰かいひけん (次々と咲き替わって花の盛りが長い朝顔をはかない花だと誰が 言ったのでしょうか?)」というようなものです。  去來曰く「句案に二品あり。趣向より入ると、詞道具より入ると也。詞道具より 入る人は頓句多句也。趣向より入る人は遲吟寡句也。されど案じ方の位を論ずる時 は、趣向より入るを上品とす。詞道具より入る事は、和歌流には嫌ふと見へたり。 はいかいは穴勝に嫌はず」。  去來曰く「蕉門に同巣同竈といふあり。是は前に作りたる句のいまた(鑄型)に 入りて作する句也。たとへば、竿が長くて物につかゆると言ふを、刀の小尻に障子 がさわる、或は杖がみじかくて地にとゞかぬと(いふを□□□)と吟じかゆる也。 同じ竈の句は手柄なし。されど、先より生れ増しな(た)らんは、又各別なり」。  去來曰く「句に勢ひといふ有り。文は文勢、論は論勢也。譬へば、    あくるがごとくこぬか(小糠)雨降る    去來 先師曰く「是文勢也。など『うちあくるごと』とは作せずや」。去來曰く「詞つま りたるやう也」。先師曰く「古人も『我も(わがごと)物やおもふらん』とはいは ずや」と也」。 [口語訳]  句の発想方法に二種類あります。趣向から入るのと、言葉や道具立て から入るのとです。言葉や道具立てから入る人は、詠むのが速く句も多いです。趣 向から入る人は詠むのが遅く、句も少ないです。けれども句作の優劣を論じる 時には、趣向から入るのを上等とします。言葉や道具立てから入ること は、和歌の流儀では嫌うように見えます。俳諧は必ずしも嫌いません。  蕉門に同巣同竈という言葉があります。これは以前に詠まれた句の 鋳型に入って同じ発想で詠んだ句です。例えば、竿が長くて物につかえるというの を、刀の小尻に障子が触れる、あるいは、杖が短くて地面に届かないというのを□ □□と詠みかえるようなことです。同じ発想の句は手柄になりません。けれども、 先に詠まれた句よりもより優れた句ならば、また、別の話です。  句には勢いというものがあります。文章は文勢、議論は論勢です。たとえば、    あくるがごとく小糠雨(注41)降る    去來 という句について、先師は「ここは、文の勢いのつけどころです。なぜ、『うちあくる ごと(全部ぶちまけるように)』と詠まなかったのですか?」とおっしゃいましたの で、私去来は「言葉がつまったようになりますから。」と答えました。先師は「昔 の人も『わがごと物やおもふらん(自分と同じように物思いにふけっているのでし ょうか。)』(注42)とは言いませんでしたか?」とおっしゃいました。  去來曰く「句に姿といふ物あり。たとへば、    妻よぶ雉子の身を細ふする    去來 初は「雉子のうろたへて啼く」と也。先師曰く「汝いまだ句の姿をしらずや。同じ こともかくいへば姿あり」とて、今の句に直し玉ひけり。支考が風姿といへる、是 なり。風情と謂ひ來るを、風姿・風情と二つに分けて支考は教へらるる、尤さとし 安し」。  去來曰く「句に語路といふ物あり。句走りの事也。語路は盤上を玉の走るがごと し。滞なきをよしとす。又柳糸の風に吹かるゝごとく、優をとりたる(も)よし。 只、溝水の泥土に流るゝごとく、行き當り當りなづみたるを嫌ふ也。其外、卷中に 一句二句曲をなせる句は有るべし。夫ともに(それとても)語路の澁りたるは惡 し。是等は一手の外也」。 [口語訳]  句に姿というものがあります。たとえば、    妻よぶ雉子の身を細ふする    去來 初めは「雉子のうろたへて啼く(キジがうろたえて鳴いている)」でした。先師が 「あなたはいまだに句の姿を知らないのですか?同じこともこのように詠めば姿が ありますよ。」とおっしゃって、今の句にお直しになりました。支考が風姿と言っ ているのも、このことです。今まで風情と一口に言ってきたのを、風姿・風情と二 つに分けて支考は教えています、最も理解させやすいやり方ですね。  句には語呂というものがあります。口で唱えた時の句の走り具合の ことです。語呂は盤の上を玉が走るようなものです。滞りないのが良い句だとされ ます。また、柳の糸のような葉っぱが風に吹かれるように、優しい感じの句も良い です。ただ、どぶの水が泥土に流れるように、行っては何かに当たって止まり、ま た行っては何かに当たって止まりして行き悩むのを嫌うのです。そのほかに、一巻 の中で、一句二句、変化のある句があるべきです。変化をねらった句だからといって、 語呂の滞った句は悪い句です。語呂の悪い句は一手のうちに入りません。  去來曰く「ほ句はむかしよりさまざま替り侍れど、附句は三變也。むかしは附物 を專らとす。中比は心附を專らとす。今はうつり・ひゞき・にほひ・くらいを以て 附くるをよしとす」。  杜(牡)年曰く「いかなるをひゞき・にほひ・うつりといへるや」。去來曰く 「支考あらましを書き出だせり。是を手に取りたる如くにはいひがたし。今日、先 師の評を上げて語る。他は押してしるべし」。    赤人の名はつかれたり初霞    史邦     鳥も囀る合點なるべし     去來 先師曰く「うつりといひ、にほひといひ、誠に去年中、三十棒をうけられたるしる し」と也。  去來曰釋、「つかれたり」といひ、「なるべし」といへるあたり、其いひぶんの にほひ相うつり行く所、見らるべし。若、ほ句、「名は面白や」とあらむ、ワキは 「囀る氣色也けり」と云ふべし。 響は打てばひゞくがごとし。たとへば、    くれ椽に銀土器をうちくだき     身細き太刀の反ること(かた)を見よ 此句をあげ、右の手にて土器を打ちつけ、左の手にて太刀に反りかけ直す仕方して 語り玉へり。一句一句に趣替り侍れば、悉くいひ盡くしがたし。此物がたりは、先 師か其角か忘れたり。 [口語訳]  私去来は「発句は昔から様々に変わりましたが、付け句は三回だけ変わりました。 昔は付け物、前句の中の物や言葉の縁で付ける付け方がもっぱらでした、中頃は心 付け、前句の意味に応じてそれを説明し、面白くする付け方がもっぱらでした、今 はうつり・ひびき・におい・くらいで付けるのを良いとします。」と言いました。  牡年が「どのような付け方をひびき・におい・うつりというのですか?」と聞き ました。去来は「支考が概要を書き出しています。これらの付け方を手に取るよ うに説明するのは難しいです。今日は、先師の批評を例にあげて説明しましょう。 他の場合はこの説明から推し量ってください。」と答えました。    赤人の名はつかれたり初霞    史邦     鳥も囀る合點なるべし     去來 先師はこの付け合いについて「うつりといい、においといい、まことに、去年いっ ぱい、私から厳しく教えられた証拠ですね。」とおっしゃいました。  私去来がこの言葉を解釈して説明するならば、「つかれたり」といい、「なるべ し」というあたりの、前句の言いたいことのにおい・余情が付け句とお互いにうつ りあっていくところを見るべきです。もし、発句が「名は面白や(名前が面白いな ぁ)」と詠まれたら脇は「囀る氣色也けり(さえずる景色ですよ)」と付けるべき です。 ひびきは打てば響くというようなことです。たとえば、    くれ椽に銀土器をうちくだき     身細き太刀の反るかたを見よ この句を取り上げて、右手で杯を打ちつけ、左手で太刀の反りを裏返して太刀を抜 こうとしているしぐさをして説明なさいました。一句一句で趣きが変わりますか ら、すべてを言い尽くすのは難しいです。この説明をしたのは、先師か其角か忘れ ました。  杜(牡)年曰く「附句の位とはいか成る事にや」。去來曰く「前句の位を知りて 附くる事なり。譬へば好句ありとても、位(應)ぜざればのらず。先師の戀句をあ げて語る。    上置の干菜きざむもうわの空     馬に出ぬ日は内で戀する 此前句は人の妻にもあらず、武家・町屋の下女にもあらず、宿屋・問屋等の下女也。    細き目に花見る人の頬はれて     菜種色なる袖の輪ちがい 前句、古代めかしき人のありさま也。    おしろいをぬれど下地が黒い皃     役者もやうの袖の薫もの 前句、今やうばしやう(ら)の女と見ゆ。     尼に成べき宵の衣々(後朝)    月影に鎧とやらを見透して 前句、いか様然るべき武家の妻と見よ。     ふすまつかふで洗ふあぶらけ(ふすまつかむで洗ふ油手)    懸乞に戀の心をもたせばや 前句、町家の腰元などいふべきか。是を以て他をおさるべし」。 [口語訳]  牡年が「付け句の位とはどのようなことですか?」と聞きました。私去来は「前 句の位を知って付けることです。たとえば良い付け句であっても、位が適合してい なければ調和が取れないです。先師の恋句を取り上げて説明しましょう。    上置の干菜きざむもうわの空     馬に出ぬ日は内で戀する この前句は人の妻ではなく、武家・町家の下女でもなく、宿屋・問屋等の下女です。    細き目に花見る人の頬はれて     菜種色なる袖の輪ちがい 前句は、王朝の古典に出てくるような引き目鉤鼻の美人の様子です。    おしろいをぬれど下地がい皃     役者もやうの袖の薫もの 前句は、現代の派手好みの女に見えます。     尼に成べき宵の衣々(後朝)    月影に鎧とやらを見透して 前句は、いかにも身分の高い武家の妻だと見なさい。     ふすまつかむで洗ふ油手    懸乞に戀の心をもたせばや 前句は、町家の腰元などというべきでしょうか。これらの付け合いを考えること で、他の場合も推し量って下さい。」と答えました。  杜(牡)年曰く「面影にて附くるとはいかゞ」。去來曰く「うつり・響・匂いは 附けやうのあんばい也。おもかげは附けやうの事也。むかしは其事を直に付けた り。それを俤にて附くる也。譬へば、    草庵に暫く居てはうち破り    ばせを     命嬉しき撰集の沙汰      去來 初めは「和歌の奥義を知らず」と付けたり。先師曰く「前を西行・能因の境界と見 らるはよし。されど、直に西行と附けむは手づゝならん。たゞおも影にて附くべ し」と直し玉ひ「いかさま西行・能因の面影ならん」と也。又、人を定めていふの みにもあらず。たとへば、    發心のはじめにこゆる鈴鹿山     内藏の頭かと呼ぶ人はたそ 先師曰く「いかさま誰そがおも影ならん」と也。面影の事、支考も書き置かれた り。參考せらるべし」。 [口語訳]  牡年が「面影で付けるとはどのようなことですか?」と聞きました。私去来は 「うつり・ひびき・においは付ける時の手加減のことです。面影は付ける時の方法 のことです。昔は多くの場合、歴史的な事件や人物のことを直接に付けました。そ れをぼんやりとしのぶように付けることです。たとえば、    草庵に暫く居てはうち破り    芭蕉     命嬉しき撰集の沙汰      去来 初めは「和歌の奥義を知らず(和歌の奥義を知りません。=西行が頼朝に和歌の奥 義を質問されたときの答え。)」(注43)と付けました。先師が「前句を西行や 能因の境涯と見ることが出来たのは良いことです。けれども、直に西行と付けるのは 稚拙ですね。ただ、面影で付けるべきです。」とおっしゃってお直しになって 「これならば、いかにも西行か能因の面影でしょう?」とおっしゃいました。 また、人を特定して詠むだけではありません。たとえば、    發心のはじめにこゆる鈴鹿山(注44)     内藏の頭かと呼ぶ人はたそ この付け句について先師が「いかにも誰かの面影のようでしょう?」とおっしゃい ました。面影付けのことは、支考も書き置いています。参考になさって下さい。」 と答えました。  支考曰く「附句は一句に一句也。前句附などは幾つも有るべし。連俳に到りて は、其場・其人・其節の前後の見合ありて、一句に多くはなき物也」。去來曰く 「附句は一句に千萬也。故にはいかい變化極なし。支考が一句に一句といへるは、 附くる場の事成るべし。附くる場は多くなきもの也。句は一場の内にも、幾つも有 るべし」。 [口語訳]  支考が「付け句は前句一句に対して一句です。一つの前句にいろいろの付句をし てみる前句付けなどでは、いくつもあるでしょう。しかし俳諧連歌になると、その 場所・その人物・その時節という前句と後の句との対応関係がありますから、一句 に対する付け句は、そう多くはないものです。」と言いました。私去来は「付け句 は一句に対して千も万もあります。ですから俳諧連歌の変化は極限がありません。 支考が一句に一句と言うのは、きっと付けるのにもっともふさわしい場のことでし ょう。前句に対して付ける場というのはそう多くはないものです。しかし付け句は 一つの場の中でも、いくつもあるでしょう。」と反論しました。  先師曰く「(附句は、)氣色はいかほどつゞけんもよし。天象・地形・人事・草 木・虫魚・鳥獣の遊べる、其形容みな氣色なる」と也。  支考曰く「附句は付くるもの也。今のはいかいつかざる多し」。先師の曰く「句 に一句も附かざるなし」。去來曰く「附句はつかざれば付句にあらず。付き過ぐ る、病也。今の作者附くることを初心の業の様におぼへて、却て附かざる句多し。 聞く人もまた、聞へずと人の謂はむことをはぢて、附かざる句をとがめずして、能 く附きたる句を笑ふやから多し。我聞けるとは格別也」。  去來曰く「附け物にて附け、心づけにて附くるは、其附けたる道すじ知れり。附 け物をはなれ、情をひかず附けんは、前句のうつり・匂ひ・響なくしてはいづれの 所にてかつかんや。心得べき事也」。去來曰く「蕉門の附句は前句の情を引き來る を嫌ふ。唯、前句は是いかなる場、いかなる人と、其業・其位を能く見定め、前句 をつきはなしてつくべし」。先師曰く「附けものにて付くる事、當時好まずといへ ども、附物にてつけがたからんを、さつぱりと附物にて附けたらんは又手柄なるべ し」。 [口語訳]  先師が「付け句は、景色はいくらでも続けて良いです。天気・地形・人間がする こと・草木・虫魚・鳥獣が遊んでいる様子、その姿かたちを詠むのはみな景色の句 です。」とおっしゃいました。  支考が「付け句は付けるものです。今の俳諧には付かない句が多いです。」と言 いました。先師は「句に一句も付かないというのはないですよ。」とおっしゃいま した。私去来は「付け句は付かなければ付け句ではありません。付き過ぎる、これ もまずい。今の詠み手は付けることを初心者のやることのように考えて、かえって 付かない句が多いのです。読み手の方もまた、読めていないと他人に言われること を恥だと思って、付いていない句をとがめないで、はっきりと付いた句を笑う人が多い です。私が教わったこととはまったく別の話ですね。」と言いました。  また去来は「付け物、前句の言葉や物で付ける、の方法で付けた句、心付け、前 句の情感に応じて付ける、の方法で付けた句、はその付けた道筋がわかります。前 句の言葉や物を離れ、前句の情感を引かずに付けようとする句は、前句のうつり・ 匂い・響なくしてはどのような所で付くのでしょうか?このことはきちんと心得る べきことですよ。」と言っておきます。さらに去来は「蕉門の付け句は前句の情感 を引っぱって来るのを嫌います。ただ、前句は、これはどのような場面か?どのよ うな人物か?と、前句の働きや位をよく見定めて、前句を突き放して付けるべきで す。」と言っておきます。先師はまた「付け物で付けることを、現代では好みませ んが、付け物で付けにくい句を、さっぱりと付け物で付けたのはまた手柄だといえ ますよ。」ともおっしゃっています。  宇鹿曰く「先師十七の附け方を路通に傳授し侍る」。去來曰く「遠境の門人の願 ひに依つて附け方を書き出し玉ふ。されど、後々ばせをの附け方は是に限りたりと 人の迷ひならんと、是を捨てられしと也。其書き出し玉ふ分、十七條とやらん聞き たり。是を傳授し玉ふ事をしらず。大津にての事とやらんなれば、路通もし其反古 を拾ひて、人に教ゆるにや。許六曰く「此事を願ひたるは千那法師也」」。  去來曰く「附句は何事もなくさらさらと聞ゆるをよしとす。卷を讀むに、思案工 夫して附句を聞かんは苦敷事也」。去來曰く「風は千變萬化すといふとも、句體は 新シキ・輕キ・慥ナル・厚キ・閑ナル・和ナル・剛キ・解ケタル・懷シキ・連 (速)ナル、如此はよし。鈍キ・濁ル・弱キ・重キ・薄キ・澁リタル・したゞる き・堅キ・騒シキ(・古キ)、かくのごときは惡し。堅キ句とどんなる句は善惡あ り」。 支考曰く「附句は句に新古なし。附くる場に新古あり」。去來曰く「古風の句を用 ゆるも、場によつてよし。されど古風の儘にはいかゞ。古體のうち、今様をすべ し」。 [口語訳]  宇鹿が「先師は十七の付け方を路通に伝授なさいましたね。」と言いました。私 去来は「遠い所にいる門人がお願いしたので付け方を書き出しなさったのです。け れども、後世、芭蕉の付け方はこれに限られていた、と人が迷うだろうなと、この 書き出したものをお捨てになりました。そのときに書き出しなさった分が、十七条 だとか聞いています。この十七条を伝授なさったことは知りません。大津でのこと だろうということでしたら、路通が、もしかしたらそのお捨てになった紙を拾っ て、誰かに教えたってことかなぁ?許六によれば「このことをお願いしたのは(近 江堅田本福寺の)千那法師ですよ。」だそうですよ。」と言いました。  去来はまた「付け句は何事もなくサラサラと読めるのが良い句なのです。一巻を 読むのに、思いを巡らし考え方を工夫して付け句を読むようなのは苦しいことです ね。」と言っておきます。さらに去来は「句風は千変万化するとはいいますけれど も、句の体は、新しい・軽い・確か・厚い・静か・なごやか・剛い・わかりやす い・懐かしい・速やか、このようなのが良いのです。鈍い・濁る・弱い・重い・薄 い・渋っている・もごもごしている・堅い・騒がしい・古い、このようなのは悪い 句です。堅い句と鈍い句は悪いほうに入れましたが、良い句も悪い句もあります。」 と付け加えておきます。  支考は「付け句は句それ自身に新しいも古いもないですよ。付ける場面に新しい とか古いとかがあるのです。」と言いました。去来は「昔風の句を付けるのも、場 合によっては良いです。しかし、昔風のまんまってのはどんなものでしょうね。古 い句体のうちにも、現代風な部分があるように詠むべきですね。」と言いました。  先師曰く「一卷表より名殘まで一體ならんは見苦しかるべし」。去來曰く「一卷 表は無事に作すべし。初折の裏より名殘の表半ばまでに、物數(奇)も曲も有るべ し。半ばより名殘の裏にかけては、さらさらと骨折らぬやうに作すべし。末に至り てはたがひに退屈出で來り、猶好句あらんとすれば、却て句しぶり、不出來なる物 也。されど、末々迄吟席いさみありて、好句の出で來らんを無理にやむるにはあら ず。好句を思ふべからずといふ事也」。其角曰く「一卷に我句九句十句ありとも、 一二句好句あらばよし。不殘好句をせんと思ふは、却て不出來なる物也。いまだ好 句なからん内は、随分(好)句を思ふべし」。  去來曰く「附ものにて付くること當時嫌ひ侍れど、其あたりを見合せ一卷に一句 二句あらんは、また風流なるべし」。  浪化曰く「今の俳諧に物語等を用ふる事はいかゞ」。去來曰く「おなじくは一卷 に一二句あらまほし。猿簑(蓑)の「待人入れし小御門のかぎ」も門守の翁なり。 此撰集の時、物語等の句少なしとて、「粽ゆふ」との句を作して入れ玉へり」。  去來曰く「凡、吟ある時は風あり。風は必ず變ず。これ自然の事也。先師是を能 く見とりて、一風に長くとゞまるまじきことを示し玉へり。假令先師の風たりと て、一風になずんで變化をしらざるは、却而先師の心に違へり」。 [口語訳]  先師は「一巻の表から名残まで一本調子なのは見苦しいものです。」とおっしゃ いました。私去来は「一巻の表はおだやかに詠むべきです。初折の裏か ら名残の表の半ばまでに特別な趣向も変わった技巧も入れるのが良いのです。その 後、名残の表の半ばから名残の裏にかけては、さらさらと特別な苦心をしないよう に詠むべきです。最後にいたるところでは、お互いに飽きて嫌気がさしてきます、 それでもなお、良い句を詠もうとするならば、かえって句の出方が悪くなり、不出 来なものになってしまいます。けれども、本当の最後まで連衆が勢いがあって、 良い句が出てくるような巻を無理にやめよ、ということではありません。良 い句を詠もうとこだわるな!ということですよ。」と言いました。其角は「一巻に 私の句が九句十句あっても、一句か二句良い句があれば良いのです。残らず良い句 を詠もうと思うのでは、かえって不出来になってしまいます。いまだに良い句を詠 んでいないうちは、分に応じて良い句を詠もうとこころがけるべきですがね。」と 言いました。  去来は「付け物で付けることを、現代は嫌いますが、一巻全体を見渡してその中 に一句二句あるのは、また風流なものです。」とも言っておきます。  浪化が「今の俳諧の連歌に物語などを持ち込んで詠むのはいかがなものでしょう か?」と聞きました。去来は「さきほどの付け物で付けた句の話と同じで一巻に一 句か二句はあってほしいですね。『猿蓑』の「待人入れし小御門のかぎ(女主人が 待っている人を招き入れました、小さな御門の鍵を開けて。)」も(源氏物語の末 摘花の)門番のお爺さんの場面から取った(注45)句です。『猿蓑』の編集の 時、物語等の句が少ないおっしゃって、「粽ゆふ(かた手にはさむ額髪) (笹の葉で包んでちまきを作りながら、片手で額にかかる髪の毛をつまんで 耳にかけている。=源氏物語の総角から)」(注46)という句を作ってお入れに なりました。」と答えました。  去来はさらに「おおよそ、句を詠むときには、句の作風があります。風ですから必 ず風向きが変わります。これは自然なことです。先師はこのことをよくご覧になっ ていて、一つの句風にとどまってはいけないということをお示しになりました。た とえ先師の句風であっても、一つの句風にこだわって変化を知らなければ、かえっ て先師の意図したところと違ってきます。」と言っておきます。  杜(牡)年曰く「ほ句の善惡はいかに」。去來曰く「ほ句は人の尤感ずるがよ し。さも有るべしといふは其次也。さも有るべきやというは其次也。さはあらじと いふは下也」。  杜(牡)年曰く「ほ句と附句の境はいかに」。去來曰く「七情萬景(心)にとゞ まる所にほ句あり。附句は常なり。譬へば、鶯の梅にとまりて鳴くといふは、ほ句 にならず。鶯の身をさかさまに鳴くといふはほ句也」。杜(牡)年曰く「心にとゞ まる所は、みなほ句成るべきか」。去來曰く「此うちほ句に成るとならぬは、譬へば、    つき出すや樋のつまりの蟇    好春 此句を先師の古池の蛙と同じやうに思へるとなん。事珍らしく等類なし。嘸心にも とゞまり、興もあらん。されどほ句にはなしがたし」。 [口語訳]  牡年が「発句の良い悪いというのはどのようなことですか?」と聞きました。私 去来は「発句は人が最も感動する句が良いのです。きっとそうだろうなぁ、という のは、その次です。そんなこともあるだろうなぁ、というのは、さらにその次で す。そんなことはないよ、というのは下手な句です。」と答えました。  牡年が「発句と付け句の境界線はどこでしょうか?」と聞きました。去来は「七 情万景のなかで、感じた所を詠むときに発句ができあがります。付け句は普通の状態 でも詠めます。たとえば、ウグイスが梅にとまって鳴く、と言うのは発句に なりませんが、ウグイスが体をさかさまにして鳴く、というのは発句です。」 と答えました。牡年がさらに「心に強く印象づけられた所は、みな発句に なりますか?」と聞きました。去来は「心にとまった中で発句になるのと ならないのとは、たとえば、    つき出すや樋のつまりの蟇    好春 この句を好春は、先師の古池の蛙の句(古池や蛙飛び込む水の音)と同じように 思っているそうです。たしかに、詠んでいる題材は珍しいし、等類(同じ発想)の句 もないです。この句を詠んだ好春にとっては、さぞ心に強く印象づけられ、面白味 もあったことでしょう。しかし、この句は発句にはならないのです。」と答えました。  野明曰く「句のさびはいかなる物にや」。去來曰く「さびは句の色なり。閑寂な る句をいふにあらず。假令ば、老人の甲冑をたいし戰場に働き、錦繍をかざり御宴 に侍りても、老の姿有るがごとし。賑かなる句にも、静なる句にもあるもの也。今 一句をあぐ。     花守や白きかしらをつき合せ     去來 先師曰く「さび(色)よくあらわれ、悦び候」と也」。  野明曰く「句の位とはいか成るものにや」。去來曰く「是又一句を上ぐ。     卯の花のたへまたゝかん闇の門    去來 先師曰く、句のくらい尋常ならずと也。去來曰く、此句、位たゞ尋常ならざるのみ 也。高い位の句とは謂(ひがたか)るらん。必(畢)竟句意(位)は格の高きにあ り。句中に理屈を以て或は物をたくらべ、或はあたり逢ふたるほ句は、大かたくら い下れる物也」。  野明曰く「句のしほり・細みとはいかなる物にや」。去來曰く「しほりは憐なる 句にあらず。細みは便りなき句にあらず。しほりは句の姿にあり。細みは句意にあ り。是も又、俳(證)句をあげて辨ず。     鳥共も寢入つて居るかよごの海    路通 先師、此句細みありと評し玉ひしと也。又、     十團子(も)小粒になりぬ秋の風    許六 先師、此句しほりありと評し玉ひしと也。惣じてさび・位・細み・しほりの事は 言語筆頭にいひ應せがたし。唯先師の評ある句をあげて侍る(教ふ)のみ。他は押 (推)してしるべし」。 [口語訳]  野明が「句のさびとはどのようなものでしょうか?」と聞きました。私去来は 「さびは句の色です。寂しい句を指していうのではありません。たとえば、老人が 甲冑をつけて戦場で働き、錦に刺繍をしたような派手な衣装で着飾って宴会に参加 しても、そこには隠しようのない老いた姿があるというようなことです。賑やかな 句にも、静かな句にも、さびはあるものです。今、一句を挙げておきましょう。    花守や白きかしらをつき合せ     去來 この句について先師が「さび色がよくあらわれて、うれしいです」とおっしゃいま した。」と答えました。  野明が「句の位とはどのようなものでしょうか?」と聞きました。去来は「これ もまた一句を挙げておきましょう。    卯の花のたへまたゝかん闇の門    去來 この句について先師が、「句の位が普通ではない、といえるくらいいいですね。」 とおっしゃいました。私去来は「位が、ただ、普通ではない、というだけですよ。 高い位の句とはいいにくいですね。やはり、句の位というのは格の高さにあるのです。 句の中で理屈でもって、他のものと比べたり、二つのものを対照させたりする発句は、 おおかた位が下の句なのです。」と申しあげました。」と答えました。  野明が「句のしおり・細みとはどのようなものでしょうか?」と聞きました。去 来は「しおりは憐れな句ではありません。細みは頼りない句ではありません。しお りは句の姿に表れます。細みは句の意図するところに表れます。これもまた、証拠 となる句を挙げて説明します。    鳥共も寢入つて居るかよごの海    路通 先師はこの句を細みがあると評されたそうです。また、    十團子(も)小粒になりぬ秋の風    許六 先師はこの句をしおりがあると評されたそうです。一般的に、さび・位・細み・し おりのことは、言葉や文章では十分には説明するのが難しいです。ただ先師の講評 があった句を挙げて教えるだけです。それ以上のことは、例にあげた句から推し量 って理解して下さい。」と答えました。  先師遷化の年、深川を出で玉ふ時、野坡問ひて曰く「俳諧やはり今の如く作し侍 る覽や」。先師曰く「暫く今の風なるべし。五七年も過ぎ侍らば、又變あらん」と 也。今年、素堂上洛の人に傳へて曰く「蕉翁の遺風天下に滿ちて、漸く又變ずべき 時いたれり。吾子志あらば我も共に吟會して、一の新風を興行せん」と也。去來曰 く「先生の言葉悦び侍る。予も兼而此おもひなきにもあらず。幸に先生をうし (ろ)だてとし、二三の新風をおこさば、恐らく一度天下の俳人をおどろかせん。 然れども、世波老の波日々打重なり、今は風雅に遊ぶべきいとまもなければ、 たゞ御殘多く思ひ奉るのみ」と申す。素堂子は先師の古友、轉(博)覽賢才の人 也。本より世に俳名高し。近年此道打捨て玉ふといへども、又いか成る風流か出で 來らん。いと本意なき事也。 [口語訳]  先師がお亡くなりになった年(元禄7年=1694年)、深川を出発なさる時 に、野坡が「俳諧は将来もやはり今のように句を作るのでしょうか?」と質問しま した。先師は「しばらくは今のままの作風でしょうね。五年も七年も過ぎたなら ば、また変わってくるでしょうね。」とお答えになりました。今年(宝永元年=1 704年ごろ?)、素堂先生が京都へ行く人に伝言して「芭蕉先生の遺風が天下に 行き渡って、ようやくまた変化するときになりました。もしあなたに同じ志がある ならば、私も一緒に連句の会を催して、新風を興しましょう。」と 言ってこられました。私去来は「素堂先生のお言葉をお聞きして、うれしいで す。私も以前から新風を興こしたいという思いがないわけではありません。 幸いにも先生をうしろだてとし、二三の新風をおこしたならば、おそらく一度は天 下の俳人たちをびっくりさせることができますよ。けれども、世間のしがらみや老 化の波が日々打ち重なって、今は風雅に遊べるような余裕がありません。ただただ たいへん残念なことだと思うだけでございます。」と申しあげました。素堂先生は 先師の古くからの友人で、博学で賢く才能のある人です。もともと世間で俳人とし て名高い人です。近年俳諧の道はお捨てになったとはいえ、またどのような風流な ことが出てくるかわからないような人です。ほんとうに私の本来の気持ちと違うお 答えをしてしまって残念なことです。