「耳」 物語の前の物語   笹心太



ホテルの近くの薬局で耳掻きを買った。
何の木だろうか、黒い光沢のある木だ。
片側は小さな匙。もう片側は綿毛。
薬局の隣のスーパーでワインを買った。
青いボトルに黒猫のラベル。
猫の耳が聞き耳を立てているようで思わず。


$ そうだな君の膝枕で耳でも掻いてもらおう。
# いいですよこちらに来ていただければ。
$ 僕は一人身だからねどこでも。
# 私は



チャットの文字が途絶える。
女には夫とおしゃまな女の子がいることは聞いていた。


# 早くチェックインできるホテルに泊まってください。
# 私は6時には帰らなければいけません。
$ わかった。



翌日


$ Aホテルを取った。
$ チェックイン13時。
$ ルームサービスでランチが取れる。
# Aホテルわかります。
# あすこなら。



僕にとっては女が住んでるとしか知らない土地。
だが女にとっては。


# もう一度確認します。
# お部屋で食事をして
# あなたはおとなしく
# 私の膝に頭をのせて
# 私はあなたの耳をほじほじ。
# 約束してください。
# それ以外、絶対に何もないと。
$ はいはい
# はいは一度だけといったでしょう。
$ はいはい
# またー



それは何度目の「はいはい」だったろう。

部屋は25階。窓からは街並みが一望に広がる。
ワゴンサービスのボーイが真鍮の大きなボールを取る。
そのボールに映っていた女の顔が大きく流れて消える。

黒猫のワインで乾杯し食事をしながら
チャットでもう何度も話した取り留めない話を。
ラベルの黒猫が聞き耳をたてている。

女がベッドの縁に腰かけた。
僕は耳掻きを女に渡し、ベッドに半身。
女の膝の温もりと弾力。目を閉じる。
耳掻きが耳に。こそばゆくも心地よく、
女の爪の先とも舌の先とも思えてくる。


僕らは物語を書こうとしているのかもしれない。
きっと残酷な結末で終わるそんな物語を。
僕は心の中でつぶやく。その瞬間誰かに聞かれているような。
薄目をあけるとやっぱり。
あの黒猫が耳を・・・



笹 心太 (Sasa Tokoroten)

プロフィール
顔を晒すより、もっと心太を理解していただくために
私の脳の輪切りから2コマ。2001/03/19 撮影
個人ページ  
http://sasa.org/

 

<<< 「月刊 てがぬま」TOP PAGE