雑草(想) 笹心太

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座右の銘などお持ちの御仁と聞くと、なんとなく敬遠してしまうのだが、 その男敬遠は嫌いだった。 いつも真っ向勝負だった。 男の座右の銘は「草魂」、踏まれても踏まれても芽を出す雑草のたくましさに引かれたという。 鈴木啓示。 近鉄バファローズのエースだった。 昭和22年9月28日生まれ、今年、55歳。 昭和40年の育英高校からプロ野球へ。日本のプロ野球最初の ドラフトで近鉄2位指名。 翌年10勝、プロ2年目の42年から5年連続20勝以上あげる。 最優秀防御率、最多勝3回、通算成績は317勝238敗2S 。 ノーヒットノーランを2回達成。 おそらく最後の300勝投手だといわれる。300勝は歴代4 位だが被本塁打数560本は歴代1位。昭和60年7月に「バッターに打たれても腹が立たなくなった。 そんなピッチャーが勝負の世界にいる資格はない。」とユニフ ォームを脱ぐ。 高度成長を担った団塊の世代のエースだった。その座右の銘も団塊の世代にもてはやされた。 ところが雑草という草はないとつぶやいた男がいた。 たしかに植物の分類に雑草などという分類はない。 名も無い草などというが、それもそう簡単にはお目にかかれまい。 もし本当にそういう草に出会えたらそれは新種の発見である。
たしかに博物学者の意見である。 「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究していないので、よくわかりませんから 、そういう問題についてはお答えできかねます」 鈴木は7年間NHKの解説者を務めた。説教調だと視聴者の評判はよくなかった。 平成5年近鉄の監督に。それまで6年間続いたAクラスからB クラス陥落。 翌年、開幕からチームはどん底、鈴木指揮を放棄、ところが皮肉にもそれから快進撃8月には首位に立つ。 それではと彼が戻ったら失速、結局2位。中心選手との確執が 表面化した。 そのオフ野茂英雄、近鉄(日本球界)を見限って大リーグ挑戦 。 翌年、近鉄は最下位。野茂が抜けたせいではない(前年8勝しかしていない)。 監督を辞めてからの鈴木は、マスコミの話題に昇ることもなくなり、忘れられた人となった。 草魂も恵まれた選手生活だったから言い得た言葉だったかもしれない。 |
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笹 心太 (Sasa Tokoroten) 顔を晒すより、もっと心太を理解していただくために |
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