その3

「一、俳諧の道理にあそぶ人は俳諧を転ず
俳諧理屈に迷う人は、転ぜず。
世に上手下手の論のみして、俳諧と言う道の所以をしらず。
蕉翁は、正風の虚実に志深き人を、我が門の高弟也と誉玉ひき」

俳諧あたりまえの姿と申しましょうか
難しいことを言わず、あるがままの心で言葉で遊ぶ
こういう心持をわかっている人は
俳諧のなかで、心のおもむくまま楽しんで、進んでゆかれます

また、まずは理屈が先に立つ、こういうお人もいるもんです
理屈が先に立つと、どうしてもそこで立ち止まってしまうんですな
ああだこうだと、考えて迷ってしまわれる

 こうなるとあるがままの心でゆっくり楽しんでゆくってのが難しい
やれ、今の世では誰が上手の、下手の、いやあれは、本当の、嘘のと
そんなことを、みなさんで、

それは理屈なんでございます
俳諧は理屈ではございません
俳諧ってのは、まずは心持、
あるがままの心で遊ぼうっていう、これでございます

世間の嘘か本当か、それなら理屈でございます
そうではない、俳諧という遊びの中の嘘とまこと
それにしっかりと目をすえてみようという

そんなお人こそが、私のこころざしを一番次いで下さっていると
うれしくおもっているんでございますよ


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